RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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コクセーチョーサ (2005/10/15(土) 23:43:38)
国勢調査の方法が問題になっているけれど、あの、地域で一人担当を決めて、全ての家庭を回って集めさせるって、要は学校のクラスの「係り」とか「委員」とかの発想なんだよな。ああ、やだやだ。本当にあれは、子供心に、面倒だとか以前に、どう考えても効率が悪いし合理的ではないし(わざわざ仕事を作ってまで割り振るとかね)で常に何とも嫌だった。概念そのものが。

掃除当番とかもわけわからないし。(安い学費で提供されている)公立学校だから用務員とか業者に掃除してもらうんじゃなくって自分達でできる事は出来る限り自分達でやるようにしよう、というのらともかく、「自分達の使う所だから自分達で綺麗にしましょう」と訳のわからない勝手な価値観を押し付けられるのが本当に嫌だったし、やるならやるで、二人くらいでやれば十分じゃないかと。

そういえば、高校で入試の手伝いに何の理由付けも無しに借り出されたのも嫌だったなあ。国立学校だから、安い学費の代わりに学校の運営もある程度生徒達でやりくりするっていうような考え方ならばそれは当然ありだと思うんだけど、生徒が学校の業務を手伝うのは当然だろ?的な無造作な感覚は全く受け入れる事ができない。

結構多くの学校で、部活が義務付けられていて、しかも毎日放課後は遅くまで部活漬けで、しかもそれが保護者達に歓迎sれていたりするらしい。つまり、放課後に自由な時間があると何をするか分かったもんじゃないから学校で拘束しておいてくれると安心だという事らしい。

学校というのが、教育機関である以前に、ある非常に閉じた小さな擬似社会になってしまっていて、生徒達から何かを「奪う」事にあまりにも無頓着になってしまっているのが現状の最大の問題点だ。現在の教育の問題点はそれが何かを教えている事でも、何かを教えていない事でもなく、それが無造作に、無頓着に、「奪う」事だ。

そういった事に対する感覚の麻痺がこういった国勢調査のあれやこれやにも、歪みとして現れてきているのだろうな、と思う。
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ショーバイ (2005/10/15(土) 23:19:20)
そうそう、たまにはamazon アソシエイトを使おう。



ちなみに、表紙がめちゃ格好良いので、それだけでも買う価値がある。原書I巻にあたる分までを読むためには邦訳の2巻目まで読む必要がある。


副読本に。朝永先生の教科書は読んだ事もないけれど、遺稿をまとめたこれは雰囲気が結構良い。ワインバーグの本でクレブシュ・ゴルダン係数などを補うためだけならローズの本だけで十分かも。


量子論の教科書。基本を学ぶだけならば後者の雰囲気が好きだけど、清水先生の本は相当に一般的な事情を考慮して書いてる部分がたくさんあって含蓄が深い。


測定の問題について読み物的に読める本。後者は怪しげなトンデモ本の雰囲気がするけれど、堅気の研究者が繊細な問題にまで真摯に言及していて、その癖薄くて一般向けの非常に良い本。

話題は変わって、「魔術師ポルガラ」シリーズの邦訳が出始めています。

これは原書を読んでいないので楽しみ。
カンタムフィールドフォー (2005/10/15(土) 22:40:57)
また、ワインバーグの視点が場の量子論の形式が相対論と量子論に基づく局所性を持った理論を作ろうとすると自然に出てくるという点にあるとは言っても、それは、その事を何ページもかけて「証明」するという事ではなく、教科書の構成はもっともっと素朴なものだ。

カンタムフィールドスリー (2005/10/15(土) 21:43:56)
ワインバーグが場の量子論を説明する中心的な視点は、「物理学は随分な紆余曲折を経て場の量子論に到達したけれど、良く良く考えてみれば、相対性論的量子力学に基づく``まともな''理論は、低エネルギーでは、場の量子論の形式で書かれるに決まっているじゃん」という物だ。

カンタムフィールドツー (2005/10/15(土) 02:26:11)
朝永先生が、量子力学の教科書のIII巻として出版する予定だった原稿の、後半を丸丸ヒルベルト空間のお話に割いているというのは、時期を考えればしかたのない事でもあるのだろうけれど、微分方程式と波動関数による方法こそが「初等的」で、ヒルベルト空間論の下での定式化は、特に数学的に厳密な議論に興味がある人だけがさらに上を目指して学ぶものというスタンスで書かれているような印象を強く受ける。実際そのような感覚は今でも、教える側、学ぶ側の双方に少なからずあるようだ。

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