RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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ゲイジ (2006/04/30(日) 01:38:12)
解析力学では対称性という言葉がキーワードとして良く出てくる。演習などで練習させられる対称性が並進対称性とか回転対称性とか意味ありげな対称性ばかりなので見失いやすいけれど、ここで言う対称性とは解から別の解を得る写像が存在する事だ。明らかに、一度解の全体についての知識が得られてしまえばそんな物はいくらでも作れるから対称性の存在自体は重要な事ではない。対称性という言葉は字面から受ける印象ほど大した事を言っているわけではない。

そしてゲージ対称性というやつも実はそれほど大した事を言っているわけではない。上で対称性というものを最も一般的に書いたが、普通問題になるのは時間に依存しないパラメタ付けが可能な対称性だ。この時ある解から対称性によって得られる他の解というものは、元の解といかなる時刻においても一致する事はない。それは異なる初期条件から出発した異なる解、物理的に異なる解を表している。

そしてゲージ対称性とは、このようなパラメタが時間に依存してよいような対称性だ。つまり解が与えられた時に、変位の度合いを各時刻で好き勝手に決めて変位させた結果が再び解になるというのがゲージ対称性だ。特に重要なのはある時刻までは変位を0にして元の解と一致させその後元の解から離れていくような解を得る事が可能である事だ。つまり、完全に初期条件が与えられても、解軌道を完全に決定するだけの運動方程式が足りないというのがゲージ対称性が存在する基本的な状況だ。あるいは、変数が無駄に多すぎる、と言っても良い。

ここまで言い切ってしまうと、対称性という言葉が使われているのにも関わらず、対称性という言葉から受ける``同等性''のような感覚は(いずれにせよ解から別の解を得る写像という最も広い意味で対称性という言葉を考えればどのみち適当ではあるが)もはやあまり継承されていない。しかしながら実際にはゲージ自由度に関してのみ異なる解というのは、物理的には同じ状況を表すからこの意味で対称性という呼び方の雰囲気は継承させれてはいる。

で、最近、状態とか時間発展とかいう概念は妄想なんじゃないかという妄想をしているのだが(妄想と言ってもそれほど特殊な事ではない)、こういったゲージ対称性の話と何がしかのリンクを感じられるような気がする。。。うーん、あやふやだ。
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スイミン (2006/04/29(土) 17:39:16)
15時間爆睡した。
ブックス (2006/04/26(水) 22:17:44)
新しく出てた数理科学の別冊(量子の新世紀)、臨時別冊(現代物理のための解析力学)が興味ある内容が多く含まれていたので買っておいた。
キューエフテー (2006/04/24(月) 20:31:40)
場の量子論の授業で釈然としない所があったので質問したら同期の人が的確な返答をしてくれた。aga=gとaa^{-1}=Iって同じ事なのね。gag^{-1}をもってa^{-1}と定義した時それはちゃんと逆になってるってのは分かるのに、その逆の感覚(aの逆を作ると添え字の上げ下げと整合する)が何故かなかった。

フェイスの株は下がる事下がる事。やっぱりこれから上がりそうだ、と素人の読みで投資するのは良くない。業績が好調で株価が上昇トレンドの株に素直に投資するのが本来だよなあ。でも、それじゃ大して儲からない。
カブ (2006/04/23(日) 20:40:57)
材料が出たからバーっと高騰するってわけにはいかないのね。ていうか一日で8%くらい下がって少し持ち直した。心臓に悪い&デイトレードする人間の気持ちが良く分かる。1日にコンスタントに5%の儲けが出せたとしたら、、、指数オーダーの増え方の恐ろしさってのは理系の人間が得られる最も有益な知識の一つだ。まあ、無理だけどね。。
カブ (2006/04/21(金) 00:07:42)
ほとんどインタフェースに慣れるためだけに小額で一度株を買ってみた。
フェイスとかいう企業

そのまさに今日、好材料が出たんですが。ちゃんと上がってくれるかも。
デーオーエフ? (2006/04/19(水) 00:14:11)
10枚の「小さな東京」
被写界深度をあれこれしてスケール感を狂わしているだけなのかなあ。そのわりに顕微鏡で見るショウジョウバエの幼虫は普通にリアルにしか見えない。
オブジェクト (2006/04/19(水) 00:07:35)
一般相対論の講師が、``手のひらに乗っけられるオブジェクト''と''成分``との違いについて力説していた。多分その哲学と成分によるナイーブなゴリゴリ計算とを両立させるギミックが微分formとベクトル場なんだろうけれど、それよりも何よりも、a^iとa^(i')で、両者は異なるという書き方は混乱の元どころの騒ぎじゃないだろう、と思う。a^0≠a^0って。。。そういう時にはa^0とa'^0だと思ってくださいってなあ。

ショウジョウバエの幼虫を開きにするのは少しだけうまくなった。今日の奴は活きが良かった。
キューエフテー (2006/04/17(月) 23:32:40)
場の量子論の授業で思った事。ディラック方程式って電子をうまく記述できるわけだけど、その歴史的導出って実は電子についての知識を全く使っていないわけだ。なるほど粒子の種類が少なかった時代の理論だ。
ゴールドスタイン (2006/04/14(金) 22:26:27)
今更感もあるがGOLDSTEINのCLASSICAL MECHANICSを古本で買った。無駄にハードカバー。適当に開いたらエネルギー面の有名な図のページだった。
ギャー (2006/04/14(金) 00:13:30)
せっかく書いたのに、履修届出すの忘れてた!!!!!!!!やばい。
ヨッテマス (2006/04/14(金) 00:00:59)
いやー一次会だけなのに実に飲んだ。何だか文芸部は未来安泰のようでよかったよかった。
ビューティー (2006/04/12(水) 01:46:16)
数学は美しい、というような言い方は好きになれない。

例えば二次方程式の解の公式は醜い。これを綺麗だなんて言うのは正気の沙汰ではない。三次方程式四次方程式の解の公式に至ってはその醜さは嫌悪にすら値する。

そしてその醜さに最も我慢できなかった人間達こそが、ガロア理論という美しい構造を手に入れたのだ。その美しさとはどこかにふわふわ浮いている物ではない。それは人が勝ち取った物であり、数学者の誇りであり、その栄誉は数学にではなく、数学者に帰せられるべき物だと思えるのだ。どこかに「美しい数学」が存在して、それを探し求めるという姿勢では、何故こうも美しいのかという疑問に対する答えが与えられる事なく、数学者は常に不安を抱えながら、偶々美しい数学が存在しているという幸運に依存し続ける事になる。美しい数学を様様な場面で人が勝ち取ろってきたという誇りだけがこれからもそれが上手く行くという楽観を支持する。それは上手く行かせてみせる、という強い信念と同等だ。

数学の美しさに惹かれて数学を志す、こういったストーリーは、メルヘンチックに過ぎて、甘ったるい。これは物理でも同じ事だ。研究動機として誰もがまず一言目に楽しさ、面白さを口にする。これがあまりに牧歌的過ぎて僕には共感できない。最大限の評価に値するような結果というものは、現状の物理に対する強い強い不満、強烈な問題意識の下で初めて得られるのだろう。そういう、触れれば切れる抜き身の刀のような研究姿勢というものは現代では多分かなり難しい。
ネムイ (2006/04/11(火) 22:16:13)
生活管理ができねー。眠い。とにかく眠い。春休みは朝6時から午後3時まで寝ていたんだから。
ゲームノー (2006/04/10(月) 01:58:35)
「子供からゲームを取り上げたい大人たちに「ゲーム脳は科学的根拠が無いトンデモだ」と指摘しても、彼らには根拠は重要ではないから心に響かない」

どうしてもこの種の主張は、「科学的であるかどうかを重んじよ」という主張に捉えられがちだ。そしてさらに悪い事には、実際にそういうケースは非常に多い。のみならず、それは他人の不明を非難する事で自分の評価を高めようという意思の下で行われたりする。あるいはもはや純粋にidentityを確立するためのなりふり構わない侵略戦争である事も多い。

otsuneさんはモヒカン族という言葉の出所であるくらいだから、こうした状況を念頭において上記のエントリを書いたのだと思う。

しかし結局の所、多くの場合人が真剣に何が正しいか何が望ましいかを検討するのは、自分が深く関わっている領域だけだ。``遠く''から発振された情報、主張は、非常に多くのノイズを含む。これはどんな集団に属する人間がどんな方向に向けて声を発する場合も例外ではない事だ。それは科学が、あるいは科学をその立場の基盤におく人間が社会と関わりを持とうとした場合にも例外ではない。そして多分我々誰もが念頭におくべき重要な事は、どんな集団、領域、分野にも(それが十分大きければ(*もちろんこれはめちゃくちゃ大きければ誰かはいるだろう、という下らない事ではなく、ここでのポイントは、大抵の集団には賢明な人間がいるという事だが、あまり小さいとそうも言えないのでこの注釈をつけている))賢明な人間はいて(その主張がなされる相手にとって)考慮に値する主張をしているという事だろう。

#一応物理学科の学生をやっている身としては、科学の分野ではそのような場合が比較的多いと言いたい所だが、実際にはやはりそうとも言えないようだ。というよりそれは個々の人格に関する問題ではなく、「お母さん誉めて誉めて」という行動原理は子供だけの専売特許ではなくて誰にも常に存在し、意味のある主張をしようとしたらそれを意識的に抑制する事が常に必要なのだ。

ゲーム脳を根拠にして子供からゲームを取り上げようとする大人達が耳を傾けるに値する主張も実際に存在する。あるいは、少なくともそれを主張する人々が、彼等に何らかの利益を提供できる事をいくらかなりとも確信しているような主張が存在する。

それはまさにotsuneさんが「森教授の学説がトンデモでグダグダなので、それに乗っかって行くと「ほら、ゲーム脳なんて科学的根拠なかったじゃないか。やっぱりゲームしても良いんだ」と子供に反論で逆襲されるよ」と書いている内容だ。

エセ科学についての運動


最近、科学者の間で、ニセ科学という言葉を一つのキーワードとして科学者と社会との関わりを見直そうという動きが広まっている。(このまとめ方が妥当であるかどうか僕にはわりと高いレベルで自信がない。もしこのような流れについて知らない人がこの文章を読んでいる場合物理学会でのシンポジウムについてのページを参照してほしい)この「ニセ科学」の代表例として扱われる現象の一つに「ゲーム脳」というトピックが含まれる。

この運動は、それが「非科学を叩く祭り」になってしまう事のないよう、慎重な「抑制」を伴っている。(c.f.きくちさんのところの3/24の記事)

そこでの基本的な問題意識は(と書くけれどこれは結局の所僕の問題意識であり、この運動の中心的な位置にいる人達の発言や行動がよくそれと一致しているように見えるから大体類似した問題意識によっているのだろうと推測している。このような人達は各論だけでなく、根本的な問題意識を断片的には時折表明しているから、全く食い違っているという事はないと思うが、全く同じという事もないだろう。)、科学を重んじさせよう、という事よりも、科学が実際に重んじられているという事だ

育児の方針を科学に依存するという事


ゲーム脳に関して言えばそれはこういう事だ。

まず、実際にゲームが心身に何らかの害を及ぼすのではないかという心配を抱いている人達がいる。彼らに対して科学が提供できる情報があれば最良の物を提供すべきだし、科学の現場でまともな評価をされていないような研究者だけが乱雑な情報発信をしているならば適切な批判を加えなければいけないだろう。

そして、まずそもそも子供にゲームをさせたくないという親達がいて、この人々がゲーム脳という「裏付け」を歓迎している。ここで重要な事は、人々が科学というラベルを自分の考えの味方につけたいと考えている事だ。ここではotsuneさんが指摘しているように科学的であるかは軽視されているが、しかし、それにも関わらず彼ら・彼女らは科学というラベルに強大な権威を見出しているのだ。

そしてここには、彼ら・彼女らにとっての問題が存在するのだ。それは、主張・思想を科学に依存するという事をしてしまっているという事だ。それは裏付けであるところの「科学理論」が否定される事があれば、その主張・思想の説得力が大きく削がれるという事だ。その上この場合ゲーム脳の話はまっとうな科学理論とは認められていない(これは主流派ではないという意味ではなく、それが科学的論証の手順を正しく踏んでいないからそもそも科学として考慮に値しないという事だ)から、たまたまこの話題について周辺の事情も詳しく知っている学校の先生がいて生徒にそう話したら、親の権威は大きく失墜するだろうし、それは場合によっては子供にゲームをする根拠すら与えてしまうだろう。

もし親がある特定の教育方針・育児方針を持っていて、その下で子供にある基準以上にはゲームをさせたくないならば、それだけで理由としては十分なのだ。子育てをしている自立した大人として、毅然として子供にその方針に従わせれば良い。そして、それができるという事は子育てをしている自立した大人としての資格でもある。もちろんそれが完璧に実行できる事は稀だろう。(結婚もしていない若造が偉そうですが)子育ては難しいものだ。しかし、そのような人の弱さ、不完全さを科学が埋めてくれるという事はない、それが科学という立場からのゲーム脳という問題に対する一つの考慮に値する主張なのである。

もちろん親が教育方針・育児方針について悩み、決定する過程で、ゲームの心身に及ぼす影響に関して科学が提供できる知識を考慮する事に問題があるわけではない。重要なのは、そこには、与えられた知識、情報に自分の価値観の下で評価を加え、思考し、誇りを持って結論を下す過程が必ず必要であるという事である。科学は非常に強力な判断材料であり、確かに多くの主張を間接的に支持する。しかしそれが特定の主張を直ちに、直接的に支持するという事は有り得ないのだ。子供が心行くまでゲームを楽しめるよう願う親ならば、ゲーム脳の問題を生じないゲーム機が開発される事を望むだろう。

また、子供からゲームを取り上げるためのゲーム脳というギミックの使われ方は「もったいないお化け」のそれと同じだ、という(明らかに妥当な)指摘もあるだろう。ゲーム脳の話がまともな科学理論ではないという情報もまた、それが直接的に実際的な考え・行動を要求するわけではない。ここでもやはり人間が人の手によってこの情報と実際的な考え・行動を繋ぐプロセスが必須だ。単にその情報を無視したり重きをおかない選択すら自立した人間には常に許される。科学という立場から発信できる情報は、子供からゲームを取り上げるためにゲーム脳という言葉が使われる時、それは「もったいないお化け」と同じ使われ方であり、その科学っぽさが使い方(例えばどの程度の年齢までそれが許されるか)についての判断を誤らせている可能性がある事、科学的な論証の対象となる言葉であるという事情があるからもったいないお化けのように用いる事は不適切である可能性があること(例えば、ゲームばかりしていると馬鹿になっちゃうぞー、で十分ではないか)等を指摘する事のみである。

考慮に値するという事


「エセ科学」に関する運動で中心的立場にいる人々は、このように「非科学に対する科学の押し付け」にならないよう慎重に主張すべき内容を吟味している。もちろん、それはここで僕が書いた事と同じというわけではないし、そもそもこのような人達の間でさえ様々な見解の相違がある。重要な事はそこでは常に誰のどんな利益やどんな害を考えているのか十分に実際的・具体的なレベルで明確にして主張がなされている事だ。従ってそれは関係する人にとっては一定の考慮に値するだろう。

apjさんがこの記事で「ニセ科学批判は正義だの主義だのではなく、利害でやるべきだ」と述べている。これは大体ここで述べた事と似た意味ではないかと思う。ただ、利害という言葉はちょっと意味が(特に金銭的な方向)に限定されるニュアンスがある。僕は「社会的・実際的に意味を持つような議論をしようとする場合には、まず十分に具体的・実際的に目的意識・問題意識を明示しその共有を図るべきである。それが一度共有されたならば、その議論は共通の認識が得られない場合にすら意味のあるものになる。」と考えている(もちろん簡潔さという点で「利害」という一単語に優れるものではないが)。そしてこの擬似科学に関する運動の少なくとも中心的に関わっている科学者達は大まかに言っていつでも同じような点について注意を払っているようである。(これはおそらく科学者の多くが賢明な人達であるという事を意味しはしないだろう。疑似科学の問題が、科学と社会との関わりを考え直す重要な機会であると捉えられたのは、多分非常に幸運な事だ。その幸運の中にはおそらく、「知の欺瞞」を翻訳した経験を持つ田崎さんがこの運動の中心的な位置にいる人間の一人である事が含まれる(あるいは必然であるかもしれないが)。)

そしてそのような科学の外にいる人にとって意味を持つであろう情報のうち一般的な物の一つは「科学が何を与えてくれて、何を与えてはくれないか」である(そしてそれを最も明確に認識できるのは科学者であるから、それは科学者が発信すべき情報の一つでもある)。ゲーム脳というトピックに関してこのような視点から言えることの一つはそれを子供からゲームを取り上げる理由に使っている親達の中には科学が与えてはくれないものを科学というラベルに欲している場合があり、従ってそれが実際には与えられていないという事態はそのような親にとって何らかの問題を生じる可能性があるという事である。

もちろんゲーム脳がまともな科学理論ではないという指摘を初めとしてこの問題に関して論じられる事は他にもたくさんある。重要な事は、単に科学上の議論をしているに留まらずに、誰かにとって具体的に意味のある主張をしようとする場合、少なくともここで言及したような賢明な人達の場合、必ず具体的な目的意識の下に議論を組み立てているという事である。それは決して科学的に正確な知識の押し付けではないのである。

otsuneさんの文章について一箇所提言



さて、otsuneさんがこのようなまともな科学者達の間での疑似科学についてきちんと考えようとする風潮についてどの程度知っているのかどうかは分からないのだが、「説得するときは、そのターゲットの「欲望」や「嫌悪感」を良く見抜かなければダメだ」という主張はapjさんの「利害」というキーワードや、僕の「問題意識の共有」という考え方と通じる物がある。ひょっとしたら疑似科学に関する運動については知っていて、単に他の非科学叩きをしている人達に苦言を呈したのかもしれない。

しかしいずれにせよ、以下の下りの前半部分は深刻な問題を含んでいると思うので書いておく。

もし科学者としてそんな大人たちに科学の視点を持ってほしいと考えているのなら、まず「ゲームを子供から取り上げたい」という要求を満たす為の科学的な提案をしなければダメだろう。そして、森教授の学説がトンデモでグダグダなので、それに乗っかって行くと「ほら、ゲーム脳なんて科学的根拠なかったじゃないか。やっぱりゲームしても良いんだ」と子供に反論で逆襲されるよ


科学的事実、科学理論と称される物が特定の思想を支持する根拠として濫用される事は珍しくはない。そしてそれはもちろん常に問題なのだが、この種の事態が破滅的な様相を見せるのは、全くまともな理論ではない理論が論拠として持ち出されるケースよりも、まともな科学理論がそれが直接的に支持するわけではない思想の論拠として適切にギャップを埋める手続きを経ずに無造作に用いられたケースである事は疑いようもないと僕は考えている。それはその理論と思想の両方に、手のつけようがない歪みをもたらす。典型的な例は進化論と優生思想の関係だろう。

もし、「ゲームが人の心身にどのような影響を及ぼすか知りたい」という欲求を持つ人間がいたとしたら、科学は誇りを持ってその積み重ねてきた知識の体系と強力な方法論を提供できる。もっと曖昧な「ゲームをするのが良い事なのか悪い事なのかを考えたい」というような欲求に対しても多分それは可能だ。

しかし、もし、科学が、「ゲームを子供から取り上げたい」という要求に合致した「科学的事実」を提供できるという点を売り文句にして科学者が科学を宣伝し、売り込むとしたら、その「科学的事実」が実際にきちんとした科学的営みによっているとしても、というより、その場合にこそ、科学は最も危険な物になるのだ。おそらくその「科学的事実」は、元々はまともな科学であったとしても、売り込まれた相手によってまともに学ばれる事なく、拡大解釈を施され、手のつけようがないほどに変容していくだろう。

ゲーム脳に関してotusneさんの今引用した段落の後半部分のような主張をしたいならば、前半部分は全く必要ない。そしてそれは科学的な視点を持って欲しいために行なわれる主張ではなく、科学が与える事ができないものを科学というラベルに求めている、従って(得られない物を得たと思っているのであるから)問題が(例えば子供が学校の先生からゲーム脳の話が嘘であると聞いてきた時に)生じる可能性があるという指摘であるべきだ。ここでの問題は科学的であるという事が軽視されているという事ではなく、科学というラベルが過剰に力を持っている事であり、科学に何ができないかを一番よく知っているのは科学者なのである(そうであるべきであるというのがより正確であろうが)。

もちろん、大抵の科学者は(そして僕のような学生でも)科学的な視点を持つ事は非常に有用であると考えている。しかしそのような主張はまた別の文脈で(例えば上で書いたようにゲームが人の心身にどのような影響をおよぼすか知りたければ科学はおよそ最も強力な手段となるだろう。)、そしてそれが人にもたらす利益を明確にした上で、行なうべきだ。もちろんそのような利益はかなりの程度に社会的に認められていて、それが学校教育で科学教育が一定の地位を占めている理由でもあり、科学者はその事について誇りを持ってよく、必要以上に謙虚になることはない。しかし、科学が特定の思想に媚びる事で科学の重要性を納得させようとするならば、例え科学的営みそれ自体は正当に行なわれていたとしても、それは正しい事ではないし、危険ですらある

最後にもう一度繰り返しておこう。科学は直接的に何らかの具体的な思想を支持する事はない。もちろん科学は間接的には非常に多くの思想の論拠と成り得るが、その間には必ずギャップがあり、それを人が人の手で埋める事は必要不可欠のプロセスだ
ハエ (2006/04/06(木) 21:58:22)
蝿の実験の初日という事で打ち合わせというかやること決めというか。

とりあえずショウジョウバエを顕微鏡で見た。ご丁寧に双眼顕微鏡なので立体的に見える。ゾゾゾ。真っ赤なお目目。

んで、ビジュアライザイションみたいな事がやりた~いとか適当な事いったら最近流行っている事らしくて、じゃあそのあたりをやる事に、となった。最近は、DNAをいじって蛍光タンパク質を作らせる事で「生きたまま」見たい部分を光らせることができるそうだ。

僕は生物物理に全然ちっとも興味がないのだが、興味がない分野について学ぶ事になる機会というのは非常に重要だと思っている。そういうわけで、今学期生物物理をやる事になった時点で、何が面白いのかどういう点で意義があるのか勉強不足の身では全然わからない事を先生の助言を信じてとにかくやってみる、くらいのつもりでいたので、やりたい、と言った事がそのまま通るのもちょっと嫌ではある。しかし、光物が好きという事以上に、可視化、それもそれ以上のものはないくらいに直接的な類のものというのは、僕は非常に好きなのだ。

というのも、人の視覚というのは、色々と融通が利かない部分はあるものの、ちょっと信じ難いほどの異常なまでの高性能を誇る情報処理プロセッサだからだ。数値化やプロットよりも先に、まず最も直接的な光景を目で見る事は、多分もっとも切り捨てられる情報が少ない方法だ(もちろんついでにたくさんの余計なものがくっついてくるという問題に注意しなければいけない)。

そういうわけで、僕は、アラハノフ・ボーア効果に基づく磁力線の可視化とか、ポアンカレ写像とか、流体の流線とその仲間達の可視化とか、ホログラムによる等高線や変位・変形の可視化といったトピックが非常に好きだ。また、数値実験の類は、綺麗なアニメーションを作る事が容易であるために、特定の仮説に過剰な説得力を持たせてしまう事が問題にされるけれど、その事に十分注意した上で、やはり目で見てある現象が起きているのか、ある構造が存在しているのか確かめられるというのは非常に重要であると思うのだ。(ただし全て一番初めの出発点としての評価だ)

さて、そういうわけで、蛍光タンパク質で神経系を光らせるとか、それどころかシナプス形成の様子を顕微鏡で実際に観察できるというのは非常に興味があるし重要であると思う。たぶん、僕がこのような分野で何かを研究しようと思ったら興味がどこに向いているのであれ、確実に、まずこのような技術を手に入れようと考えたと思うからだ。それは例えば、デバッグの仕組みがないプログラミング言語(C言語とか)でプログラミングをする時に、まずデバッグルーチンから作り始めるようなものだと言えるだろう。
リシューヨテー (2006/04/06(木) 00:20:45)
そろそろ単位をまじめに考えなければいけないのと、そもそも講義が開催される事くらいは真面目に勉強しておかなければいかんと思うので、今学期は、たくさん講義を履修する&講義に沿って勉強するという事をする予定。

ちなみに選択科目はあと18単位必要。つまり9科目。んで、

月曜日
2限
 場の量子論I
3限~
 現代物理学入門(スケジュール)

火曜日
1限
 固体物理学I
2限
 一般相対論

木曜日
2限
 統計物理学特論

金曜日
2限
 量子光学

物理学科科目ではこんなところかな。場の量子論と一般相対論は無理してとることもないかも。情報学科の講義で興味をひかれるもんがあれば聞いておきたいというのもあるし、シラバスもらうまで確定はしそうにない。

ホッヂソーツイ (2006/04/05(水) 22:32:13)
先日書いたHodge双対の追記。

シュッツの本のこのトピックの最後の方に以下の注意が書いてある(引用ではない)。

計量を用いて体積要素を定義する場合、その``逆''を定義する、逆数をとる以外の自然な方法がある。それは計量で添え字の上げ下げをする事であり、不定符号の計量の場合逆数で定義する場合と符号の違いを生む事があり得る。ローレンツ計量はまさにこの例であり、慣例として後者(計量で上げ下げ)が用いられる。

どうりで本に書いてあるのと符号が違う結果になるわけだ。
カイセキリキガク (2006/04/05(水) 17:45:16)
とりあえず、一応この休みの目標としていた拘束系の力学の章の前までは終わらせられた。拘束系の話まで読まないと、解析力学として新しい事はほとんど学べなくてあまり意味がないわけだが、そもそも今の大学の講義とか普通の教科書とかでは解析力学って妙に軽視されているので、復習に留まらない程度にはいろいろ学べた。それにある程度は、ラグランジュ系、ハミルトン系に限らない一般の偏微分方程式の積分に関する技術を知る事ができたのも収穫だろう。

この時期にまじめに解析力学をやってみたのは、もう一つ理由がある。来学期一般相対論の講義があって、せっかくだから講義に沿って勉強してみようと思っているのだが、僕には幾何学についての知識が全くない。そして、微分形式も使わずにあまり整理されていない形で一般相対論を学ぶというのは、かなり無駄な苦労をしてしまう事になりそうだと思ったのだ。

で、一つ大きな問題があって、これ解析力学の本だから、シンプレクティクformは散々出てくるのに対して、リーマン計量のリの字も出てこない。
トエフル (2006/04/05(水) 02:59:27)
TOEFLのスコアが帰ってきた。
Listening 19
Structure/Writing 20 (Essay Rating 3.0)
Reading 24
Total:210

限りなく微妙だ。200を切っていたら受けなおそうというラインは超えているけれど、越えているうちで最低くらい。う~ん。

というか、ListeningとWritingはもう一度受ければ上がると信じたいけれど、それよりも、Strucutureが異常に良すぎたからなあ。受けなおしても全体のスコアは大して変わらない気がする。

あと問題はReadingが練習を含めて三回とも25で安定している事か。感覚的には満点でも良いくらいなんだが。

とりあえず各項目2点アップ(Total:230)を目指して受けなおそう(しかしまだ空いているのだろうか)。
ホッヂソーツイ (2006/04/04(火) 00:36:37)
覚え書き

Hodge双対は体積要素を通じて定められる概念であり、まずp-form<-> (n-p)-vectorが自然に定められる。これは計量には依存せず体積要素には依存する対応である。

これをさらに計量によって定まる(n-p)-vector<->(n-p)-formの対応を用いて写すとp-form<->(n-p)-formの対応になる。つまり、p-formと(n-p)-formの対応という意味でHodge双対という概念が用いられる時、それは、体積要素と計量という二つの構造に暗に依存する。

もちろん計量から自然に定められる体積要素として計量行列の行列式があるが、その場合でさえ、計量を変えずに体積要素の係数関数を変える変換がある。もちろんそれは、ユークリッド空間やローレンツ空間においては、反転を含む変換だ。一般には体積要素は計量とは別に入れる構造であり、Hodge双対はそのような体積要素を通じて定まる対応である。
セーブンアナライシスゾク (2006/04/03(月) 19:30:33)
アインシュタインの成分解析結果 :

アインシュタインの75%は大人の都合で出来ています。#やっぱり・・・
アインシュタインの25%はアルコールで出来ています。#c.f.愛飲酒多飲

ディラックの成分解析結果 :

ディラックの49%は白い何かで出来ています。
ディラックの25%は保存料で出来ています。
ディラックの11%は知識で出来ています。
ディラックの6%は真空で出来ています
ディラックの4%は黒インクで出来ています。
ディラックの4%は信念で出来ています。
ディラックの1%は勢いで出来ています。

ホログラムの成分解析結果 :

ホログラムの97%は月の光で出来ています。
ホログラムの2%は赤い何かで出来ています。
ホログラムの1%は電波で出来ています。

数学の成分解析結果 :

数学の82%は微妙さで出来ています。
数学の10%は赤い何かで出来ています。
数学の6%はで出来ています。
数学の2%は心の壁で出来ています。

吉田 武の成分解析結果 :

吉田 武の71%は純金で出来ています。
吉田 武の13%は魂の炎で出来ています。
吉田 武の11%は夢で出来ています。
吉田 武の4%は気合で出来ています。
吉田 武の1%は月の光で出来ています。


基礎の成分解析結果 :

基礎の42%は玉露で出来ています。
基礎の36%は知恵で出来ています。
基礎の14%はで出来ています。
基礎の7%はミスリルで出来ています。
基礎の1%は度胸で出来ています。

応用の成分解析結果 :

応用はすべて華麗さで出来ています。


#勉学の支えになるようなならないような、深いような深くないような・・・


けっこう早く「成分」が出尽くして、あまり面白くなくなってきたのだが、最後に秀逸な結果が出たのでとりあえずここまでにしておこう。
セーブンアナライシス (2006/04/03(月) 18:39:11)
流行に乗ってみた。

Rukeの成分解析結果 :

Rukeの57%は情報で出来ています。
Rukeの32%はむなしさで出来ています。
Rukeの10%は厳しさで出来ています。
Rukeの1%は野望で出来ています。

Ruke the Red Crownの成分解析結果 :

Ruke the Red Crownの72%はカテキンで出来ています。
Ruke the Red Crownの13%は勢いで出来ています。
Ruke the Red Crownの11%は鍛錬で出来ています。
Ruke the Red Crownの2%は食塩で出来ています。
Ruke the Red Crownの2%は税金で出来ています。

(本名)の成分解析結果 :

(本名)の54%は蛇の抜け殻で出来ています。
(本名)の33%は波動で出来ています。
(本名)の7%はビタミンで出来ています。
(本名)の4%は利益で出来ています。
(本名)の2%はハッタリで出来ています。

C.f.
AIBOの成分解析結果 :

AIBOの99%は蛇の抜け殻で出来ています。
AIBOの1%は血で出来ています。

#AIBOの方が生物っぽい。

東京大学の成分解析結果 :

東京大学の97%は電波で出来ています
東京大学の2%は欲望で出来ています。
東京大学の1%は明太子で出来ています。

東京大学物理学科の成分解析結果 :

東京大学物理学科の45%は罠で出来ています。
東京大学物理学科の31%は努力で出来ています。
東京大学物理学科の15%は心の壁で出来ています。
東京大学物理学科の6%は情報で出来ています。
東京大学物理学科の1%は勇気で出来ています。
東京大学物理学科の1%はやらしさで出来ています。
東京大学物理学科の1%は言葉で出来ています。

東京大学理学部1号館1階のDOUTORの成分解析結果 :

東京大学理学部1号館1階のDOUTORの44%は運で出来ています。
東京大学理学部1号館1階のDOUTORの35%は成功の鍵で出来ています。
東京大学理学部1号館1階のDOUTORの14%は月の光で出来ています。
東京大学理学部1号館1階のDOUTORの4%はやらしさで出来ています。
東京大学理学部1号館1階のDOUTORの2%は歌で出来ています。
東京大学理学部1号館1階のDOUTORの1%は希望で出来ています。

#ナイス誘致

物理学の成分解析結果 :

物理学の半分は保存料で出来ています。
物理学の34%は夢で出来ています。
物理学の10%は大阪のおいしい水で出来ています。
物理学の5%は汗と涙(化合物)で出来ています。
物理学の1%は微妙さで出来ています。

(量子力学だとつまらなかったので英語で)
Quantum Mechanicsの成分解析結果 :

Quantum Mechanicsの99%は優雅さで出来ています。
Quantum Mechanicsの1%は根性で出来ています。

ちなみにQuantum Physicsだと
Quantum Physicsの成分解析結果 :

Quantum Physicsの81%はお菓子で出来ています。
Quantum Physicsの16%は宇宙の意思で出来ています。
Quantum Physicsの1%は睡眠薬で出来ています。
Quantum Physicsの1%は犠牲で出来ています。
Quantum Physicsの1%は株で出来ています。

シュレディンガーの猫の成分解析結果 :

シュレディンガーの猫の76%は着色料で出来ています。
シュレディンガーの猫の15%は電波で出来ています。
シュレディンガーの猫の4%は勢いで出来ています。
シュレディンガーの猫の2%はカルシウムで出来ています。
シュレディンガーの猫の1%は電力で出来ています。
シュレディンガーの猫の1%は不思議で出来ています。
シュレディンガーの猫の1%は乙女心で出来ています。

シュレディンガーの子猫の成分解析結果 :

シュレディンガーの子猫の40%はやさしさで出来ています。
シュレディンガーの子猫の29%は覚悟で出来ています。
シュレディンガーの子猫の14%はで出来ています。
シュレディンガーの子猫の13%は果物で出来ています。
シュレディンガーの子猫の4%は心の壁で出来ています。
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