RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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プロブレム (2005/07/30(土) 23:10:00)
明らかに問題は、単に誰かが何かを理解していないという事ではありません。

自然科学者の多くは、哲学者や社会科学者達が科学用語を正しく理解せずに使ったり、科学の方法論を特定の主張を支持するために歪めて用いたりしているとか、科学の方法論をきちんと理解する事なくパラダイム・シフトという構造にばかり着目して科学を単なる一思想であるかのように扱って、自然科学よりも崇高な議論を行っているつもりになっていやがる、と非難しますが、同時にそういった事が免罪符であるかのような姿勢を半ばとって、こうした多分野における議論に興味を示さなかったり、科学の方法論の分析や科学の社会的役割、科学の倫理といった問題についてまで他分野の人間による議論を嫌って、社会的な影響力の大きい立場から到底洗練されているとは言いがたい認識を示したりします。

一方、哲学や社会科学分野の多くの人々は、自然科学者は彼らが科学用語や、科学っぽい物の言い方をした時だけ鬼の首をとったかのように間違いをあげつらう癖に、自分達が行っているどんな議論にもほとんど興味を示さず、それどころか、科学の社会的役割、科学の倫理といった、例え自然科学という学門分野が個々の研究者に要求はしないとしても、彼らの社会的立場から当然興味を向けて真摯に考えを巡らせるべき領域についてすら、あるいは科学の方法をより洗練させ得る科学の方法論の吟味といった事についてすら、「そんな事は下々の者に任せておけ」といった態度をとる、と非難しながら、同時に、自分達がしばしば引用、使用するような科学で用いられる用語、概念、方法といった物についてすら、正しく理解しようとする姿勢を見せません。

#ここでは特にこの対立構造に焦点をあてているのでいささか視野の狭い限定的な書き方になっているが、もちろん同様の構造は至るところにある。

ここにある対立の溝は、誰かが何かを誤って理解している、などという単純な捉え方では済まされないほどに、深い。そしてこの対立の構造が停滞を生んでいるという点こそが問題なのです。

このような観点から、状況を正常化するためには、他分野を理解する姿勢こそが重要であるという事になりますが、前回延べたように、その時最も重要なのは、他分野について学ぶ事よりも、自分が特に深く関わっている特定の分野について、それがどのような論理構造を持っていて、何を言っていて何を言っていないなのかを正確に理解する事なのです。

それなしに他分野を理解したつもりになっても、それは、単に異なる立場を受容したというだけにすぎず、それは、盲目的に拒絶する事の裏返しにすぎません。

一方このような経験を経ている人間は、他分野について曖昧にしか理解していなくとも、その限定的な知識、理解の下で自分が何を主張できて何を主張できないのかを明らかにする事ができるでしょうから、その範囲内で議論に参加する事ができます。場合によっては、彼が他のある分野について深い知識と理解を持っているということが、彼がその分野について曖昧な知識と理解しか持っていないという事を補って余りあるということにもなるでしょう。またこのような人間は、自分に足りないのはどんな事であるのか明確に知る事が可能で、必要に応じて先に進む事ができます。

さらに、例えばこの一連の文章の発端となった

知人の立花隆の講義についての問題提起
講義のWEBサイト
講義録1
講義録2

のようなケースに遭遇した場合、もちろんこの特定の人間の特定の誤った理解について批判するという事も重要ですが、同時に、自然科学の論理構造、方法論、そして自然科学が何を言っていて何を言っていないのかを正確に理解し、さらに人がそのような事を理解する障害をできるかぎり取り除く努力が必要です。そして、議論であるべき物をアイデンティティの対立に変容させてしまわないためにも、こちらにこそより注力すべきです(もちろんどちらも、そもそも完了するような性質のものではありませんから、一方が終わるまで他方をしては行けないというわけではありません)。

さらに言えば、立花隆という人間について最大限好意的に解釈した場合、彼がジャーナリストであるという点は無視できない。実際、立花隆が言っている「科学に関する変な事」は哲学とか社会科学で頻繁に目にする物ですし、さらにハイゼンベルグなどの量子力学の建設に大きく貢献した人々によるコペンハーゲン解釈も含まれています。そもそも、立花隆が講義のこの部分で語ろうとしていた「量子力学がもたらすパラダイムの転換」からしてそうです。こうした事からも、立花隆をだしにして一般的に誤解されやすい科学上の概念に関する理解を図るといった事ならばともかく、立花隆という``大物''の活動によってこのような科学に関する不理解が自分の目の届く範囲に入ってきたからその部分だけを批判するというのは正しい姿勢ではないでしょう。

#もっとも立花隆は大部分、自身一人の思想家として振舞っている事もまた無視できませんが

さて、こうした事から言って、物理学の教科書が書かれる時、細心の注意が必要という事になるのは当然の事ですが、学生という立場から言わせてもらえば、物理学の教科書という奴は、有名で定評である物でさえ、酷い。酷すぎる。現代社会においてなまじ大きな成功を収めているだけに余りに無邪気な姿勢が多すぎる。
(続く)
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