RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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ウォーアンドサイエンス (2005/08/09(火) 03:36:59)
原爆以来、科学者達の一部はある種の責任感と使命感を持って、戦争や兵器開発に関する政治的、思想的発言、活動をするようになった。

ところがこうした発言、活動はある責任感、使命感の下で科学に携わる人間が、政治的、思想的発言、活動``も''している、というのにすぎないと感じる事がある。科学の営みを全体的に疎視化して見ると、常に戦争とか、兵器開発とかと一定の距離をおこうとする姿勢が見られる。そこには、「科学を戦争などという下劣なものに使うな」というような思考が存在してしまってはいないだろうか。

現状の科学は、ある人達は需要に応えて要求された物を作るという産業的な関わり方をし、残りの人達は研究活動において(少なくとも目の届く範囲で)戦争や兵器開発に関わりを持とうとしない姿勢を貫いている。そういう状況で、しかし無関心ではいかんだろう、と政治的、思想的な発言、活動を行ったとして、そこでは個人の力のみが影響力となり、科学の(さらには学問の)とてつもない強力さが活かされる事はない。

科学はもっと積極的にこうした分野に関わるべきではないだろうか。例えば、核兵器に対する効果的な防御技術の開発は、核兵器に固執する意味を大きく失わせるだろう。さらに、独占が絶え間ない競争を生む構造を解消し、兵器技術がアカデミズムによって広く共有されるようになり、しかもそれが非常に高度で日々物凄い速度で進歩するようになれば、一国の一機関が排他的に研究を行う事でその先を行くという事が不可能になるだろう。そうなれば、どこかの誰かが兵器を使いたくならないようにする事、そして使われたとしても被害をほとんど受けないようにする事こそが、重要視されるようになるはずだ。

(アカデミズムの営みとしての)科学が社会的な力すら持つようになったのは、現代社会の``知''の重要な部分を担っているからだ。もっと通俗的に言えば、(それが何を意味しているにせよ)「大学教授って頭が良い人なんだよね」という社会的通念だ。それにも関わらず、一部の軍事機関、軍事産業はこの分野においてアカデミズムの下で行われる科学のはるか上を行き、知識と技術をそれぞれに独占しているのが現状だ。
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