RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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モヒカンゾクツイキ (2005/08/21(日) 03:10:45)
先日書いたモヒカン族関連の事でいくつか言及されたので追記。

まず、「ダビュリュサンシー」は、構成がまずかったかもしれないけれど、アイデンティティの確立を何よりも行動原理とする人々によって、二項対立の構造が恣意的に構築、維持されてしまっているという話題に言及する事が多かったので、ここにもやっぱり同じ構造がある、という事を書きました。その後にずらずら書いてあるのは、関連して想起した事を垂れ流してみた物で、後ろにあるほど結論に近いというわけではありません。

あと、これは言われるかも、とは思っていたのだけれど、「ダビュリュサンシー」「エルオーテーアール」で書いたような「モヒカン族」は「真のモヒカン族」ではない、という指摘に関して書いておくと、僕は、「真のモヒカン族」に会った事がない。

これは、似たような例がたくさんあって、多分一番大きいのは「合理主義者」。普通「合理主義者」が批判的な文脈で使われる時、つまり「合理的である事が常に正しいとは限らない」といったような言い方は、一見そうは見えないけれど、実はその「合理主義者」が全然ちっとも合理的でも理性的でもない事を批判しているのです。だから、少なくとも通俗的な意味の「合理主義者」で、合理的であったり理性的であったりする人間に僕はついぞ出会った事がない。

こうした「合理主義者」はある狭い視点からは合理的と見なされるような主張を自分の信条としているのだけれど、その視点の狭さを相手の土俵に立ってきちんと反駁するのは余りに面倒なので、そういった議論を抜きにして「もっと広い視点を持とうよ」という意味で「合理的である事が常に正しいとは限らない」といったような問題提起を標語的に行う事にはもちろん意味がある。

しかし、こうした相対主義的な主張というのは、常に、問題提起としての標語的な意味のみを認めるべきで、その先の議論をこうした主張の下で行ってしまうと、議論が全く無効化されて、勝手な価値観の押し付け合いになってしまう。

#ex.「君たちは勉強に何の意味があるんだ、と言うけれど、意味がある事だけをしていれば良いって物じゃあないだろう」

それどころか、しばしばこうした事態が、進歩を停滞させる原因となってしまっている。例えば、「科学で解明できていない事はまだまだたくさんあるはずだ」のような謂いは、それが正に科学を推進する最大の動機であるはずなのに、しばしば、科学的な探究を放棄する事の正当化として持ち出される。


この、モヒカン族とされるような人々の問題は、突き詰めていけばある狭い視点の下でのみ「正しい」とされる事をその視点の狭さを自覚せずに主張してしまう事なのだと思うのだ。「偽」とか「似非」であるか「真」であるかは、つまる所その「視点の狭さ」が容易に指摘され得るかどうかにすぎない。

その「視点の狭さ」は技術的な問題に通じていない一般人には容易には指摘できない。それどころか、ある程度の技術や知識を持っていても、それは容易ではない。第一、わざわざ時間を費やしてきちんと反駁する義理もない。しかし何もしなければ、何となく向こうが「正しい」陣営であり、こちらが「正しくない」陣営であるかのような場が形成されてしまい、面倒だ。そこで、こうした人々に対する「モヒカン族」というレッテルを用意する。これは確かに有効だろう。

ただ、上でも書いたように、このようなレッテルは「正しい事がいつも正しいとは限らない」というような、似非相対主義的な議論の無効化の免罪符となってしまいやすく、危機感を覚える。

それで、LotRの字幕問題を取り上げた。

字幕を検証する草の根的運動が、モヒカン族的に行われたならば、少しでも「誤訳」と見なされるような個所について詳細なリストアップが行われただろう。彼らは、そのリストや具体的な問題点についてのお互いの活発な検討を歓迎し、英語の解釈の難しい部分について詳細で専門的な議論をアカデミックな姿勢から行っただろう。

このような議論は、モヒカン族の常として、非常にアカデミックな姿勢で行われ、従ってその正当性には文句のつけようがないだろう。しかし多くの人間は、「妙な事に精を出す人々がいるのだなあ」という程度にしか気を止めないだろう。従ってこのような議論は狭い閉じた空間で行われる。

あるいは、戸田による字幕を瀬田訳と比較して様様な点で批判が展開されたかもしれない。この仮想的な例における瀬田訳というのは、普通モヒカン族が立脚する技術的な正当性とは性質が異なる。しかし、こうしたモヒカン族の発言力が数のわりにやけに大きく、またその正当性が一見本当に正しそうに見えるのが、インターネットがもともとモヒカン族が支持しているような考えに基づいて発展してきたという歴史による物であれば、瀬田訳はこの意味で仮想的な例となるだろう。実際、翻訳者としての瀬田は広く高い評価を受けていて、瀬田による「指輪物語」も個別の点においては賛否両論あるものの、瀬田の代表作としての評価が定着しているからだ。

この仮想的な例においてモヒカン族と対比させられる字幕運動家達は、実際に問題にされているモヒカン族とは異なって一般人に直接絡んでくるわけではないが、おそらく、「翻訳の問題点を指摘する事はプラスになる事こそあれマイナスになる事はない」という確信の下で(実際の運動家達が行ったように)配給会社に対して何らかの手段で自分達が検討した問題点を伝えるだろう。この場合配給会社や字幕に関わる個々の人間は、村社会的な馴れ合い文化的な考え方をする者であれば、感情的な拒絶を示すだろうし、そうでない場合(おそらくは組織全体としては、少なくとも表面的にはこの姿勢をとるだろう)にはそれなりの謝意を示すものの、既に流通している映画の字幕の修正や、これからの製作する字幕の製作体制の手間を考えれば、ほとんど実質的な反映はなされないだろう。ひょっとしたら瀬田の翻訳に愛着を持つ既存のファンのために表面的な変更は行うかもしれない(それは、運動の初期に実際に起こった事だ)。

これが、LotRの字幕運動家達がモヒカン族であった場合に起こる事だ。そして実際にはそうはならなかった。LotRの字幕運動家達は、常にどうすれば字幕がより良くなるか、の視点の下で行動した。彼らは、瀬田訳との相違を問題にしているのではない、ということを明確にするために「誤訳」を標語としたが、意訳と呼ぶには相当の勇気が必要な字幕でも、字幕の制限の中で映画の内容を的確に伝えるという目的を確かに達成しているような物については好意的であった。もちろん彼らは、彼らの草の根的運動が受け入れられる事になれば、彼らの運動が第三者による監査という性格を帯びる事を理解していたから、ほんの少しでも問題があると認められる点については彼らのリストに含めるようにしたが、それらには優先順位が付され、英語の翻訳としての技術的なミスは重要視されなかった。そうして、彼らの良い字幕を求めての行動は、活発な議論を好むとか好まないに関係なく、同じ望みを持つ人間に確かに届いた。

しかしそれでもこの運動は、彼らを「モヒカン族」と見なす盲目的な批判にされされた。例として少し極端な例だけど「おすぎ発言」を挙げておく。まあこの例では、おすぎは仮想的な字幕運動家達の視点の狭さを具体的に指摘しているので、おすぎが仮想的に相手にしているのはモヒカン族よりはレベルが低いけれど、とにかく、活発な議論を行う「英語ができる人達」が自分の領分に侵入してきて煙たがる、というのはモヒカン族との対比で見るべき点があるだろう。そしてもし実際、この字幕運家達が、モヒカン族的な人々であったならばおすぎのような態度で全然問題はなかったはずだ。ただ、実際には、そうではなかったのであり、こうした盲目的な対話の拒否は、おすぎという人が本当に映画を(あるいはこの特定の映画)を愛しているのならば、損失だ。

そういうわけで、モヒカン族という問題を、理系的で合理性を尊ぶ技術者社会と馴れ合いのムラ社会の対立と捉える事は重大な危険性を持つと思うのだ。モヒカン族というのは、確かに理系的で合理性を尊ぶ技術者社会に多く存在する(あるいは多くを占める)かもしれないが、彼らは真に理系的でも、真に合理的でもない、そして技術者の風上にもおけないような連中なのだ。一体、ある点について正しいという事が人にどのような利益を齎し、どのような利益を齎さないかについてまともに判断を下せないような(あるいは下そうと努力しないような)人間が、良い技術者であると言えるだろうか?(もちろん、悲しい事ではあるが、良い技術者は非常に限られている)。

というよりだからこそ、技術原理主義者、技術至上主義者といった言葉を使わずに(もちろん原理主義、至上主義といった言葉は、合理性からは程遠い盲目的な信奉を表すけれど、それでもこれらの言葉では「技術」という強固な拠り所が表立ちすぎて、おいそれと手が出せない雰囲気に貢献するだろう)、「モヒカン族」という言葉を作ったのだと思うのだけれど・・・。

まあそういうわけで、考案者の考えはどうあれ、上述の懸念を踏まえた上で、「モヒカン族」という言葉は良くできていると思う。このイメージにはもはや理性的で合理的な人間の欠片も残ってはいない。変わりにあるのは野蛮性と暴力性だ(あ、どうでもいいけれど、ここで引用しているリンクを見ればすぐわかる事だけど、モヒカン族って、北斗の拳に出てくる雑魚キャラの事なので。別に未開の民族に対する差別的なイメージによる言葉ではない。)。

ただし、せっかくこういうレッテルが作られたのに、問題が矮小化されて「技術者社会と一般人の対立」という構造にすり替えられてしまえば単に状況がより混乱する(無用の対立の溝を深める)だけになるだろう。まあ確かに、数の論理で決着が着くのかもしれないが。とにかく、モヒカン族という言葉はせっかく絶妙の発明なので、それ単独で持つ独特のニュアンスは大切にしなけりゃならない。

#こうした事は、モヒカン族のW3C原理主義者的な側面についてだけの議論で、彼らがとるアカデミックな姿勢についてはまた別かもしれない。まあこれは空気読めよっていう程度の問題だとは思うけれど、確かにブログが普及して個別の記事に一々気軽にコメントが書き込めるようになってから、そういう問題が起きやすくなっているのは確かだろう。

んで、そうして見ると、この言葉の考案者自身がこういう事を言っている事は、やはり問題だと思うので、一番初めに書いたように、「ダビュリュサンシー」に書いた事の後半部分はそれほど強く何かを主張するつもりで書いたわけではないのだけど、この点については問題提起をするべきかもしれない。

価格.comのような、攻撃者の能力を過剰に評価し彼らが未知の予測不可能な脅威の技術を持っている存在として見なしたり、セキュリティの確保は本来やらなくて良いことで、ただし行えば行っただけ誉められる行為と見なしたりする事は、確かに技術者的視点の欠如は理由の一つとして挙げられますが、それ以前に、企業、組織としての利益/不利益という観点からこのような認識は自ずと決定しているのです。確かに技術者的視点、知識が欠けていれば無邪気にこうした認識を持てるかもしれません。しかし、明らかに技術者的な立場にあり、事実豊富な知識と経験を持っているはずの人間が、自身の商売、あるいはプライドといった感情がからむとこうした認識を披露するという事は、頻繁に目にします(例鶴亀メール(現 秀丸メール)の問題に関する作者の発言に対する苦言)。

こうした認識は、結局の所その人間にとって単に都合が良いというだけで選択されるのです。そうやって、多くの企業が、セキュリティ問題を責任として見ず、またセキュリティ問題が責任と見なされる状況を常に嫌い、新しい飯の種としてのみ評価するという姿勢をとりつづけてきたのです(例えばマイクロソフトとか)。

そういうわけで、この価格.comの問題は、技術者社会とビジネス社会の常識の違いとして捉えるべきではない。確かにこの問題には、技術者的な常識とビジネス社会の常識の食い違いが関与しているかもしれないし、理系的な考え方と文系的な考え方の違いが関与しているかもしれない。しかし全くそうではなく価格.comの遠藤氏が技術者的な視点や知識、経験があったとしても(ひょっとしたら実際そうかもしれない)、その発言は変わらなかっただろう。なぜならば価格.comは十分な対策をしていたのにも関わらず、悪のスーパーハッカーの許しがたい想像を絶する技術(多分量子コンピュータを持っていて1024bitRSA暗号が3秒で解読できる)による悪しき攻撃の被害に運悪くあってしまった被害者であるとして扱われる事は価格.comにとって最大限有益であるからだ。価格.comは現在の状況においてはそのような認識は十分受け入れられるであろうと踏んだだけだ。だからこそ、この問題は、そうした事を全く抜きにして、単に消費者の保護と企業の社会責任という観点から論じるべきなのだ。

#あ、そうか、こういう時トラックバックって使うのか、と思って送信してみた

#余談だが、現代的な正しい事は人の数だけあるんだよー、的なお話が行き詰まったら、一度最も素朴で原始的な思考に戻ると物事がクリアになる。正しいことはもちろん正しいのだ。新しい方が良いに決まっているし、合理的な方が良いに決まっているし、意味がない事には意味がないに決まっているし、ついでに言うならば、エリートは優れた人に決まっている(辞書を見よ)。
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コメント
この記事へのコメント
価格.comの記事に追記しました
2005/08/21(日) 03:48:31 |otsune|URL | #nLnvUwLc[ 編集]
「ビジネスと技術者の常識の違いだけが問題だ」
と誤解されるのは問題だ。
という指摘に納得したので8月12日のWeb日記について追記しました。
2005/08/22(月) 21:49:28 |derodero|URL | #vXeIqmFk[ 編集]
関係ないけど、掲示板のメンテナンスをするのだ
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