RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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さて、電磁場という未知の自由度が見つかって、そのガリレイ不変な物理法則を見つけようとする試みは失敗した。もちろんそうなれば、まず第一に、ガリレイ変換に類似の対称性が存在するという期待を放棄するのが一番自然だ。ところが、いくつかの実験が、ガリレイ変換ではないものの、その類似した変換に関する対称性をこの世界が備えているという事を強く示唆した。これらの実験とは、つまりは光速度一定を確かめたとして通常参照される実験の事だ。

そうして我々が見出したのが変換x'=(x-vt)/sqrt(1-v^2/c^2),t'=(t-vx/c^2)/sqrt(1-v^2/c^2)に関する対称性だ。この対称性を満たす物理法則の下で何が起こるか。このことをローレンツ短縮と呼ばれる現象に関して考えてみる。
まず、前に書いたように、(広義の)ローレンツ変換は、x'=x+a,t'=t+bのような変換を含み、これは標語的には時空の一様性を表すと書いた。

まず時間に関する一様性から、ある二つの粒子のx=0とx=Lで安定な定常状態(場もニ粒子の位置もtに依らない)といったものが様様にあり得ると期待する事ができる。ここで、安定であるとは、場や二粒子の位置をほんの少しだけ変化させても、速やかに元の状態が回復するということだ。

さらに、空間的な一様性から二粒子がx=1,x=1+Lにある安定な定常状態も、x=2,x=2+Lにある安定な定常状態、、、も全てあることが直ちにわかる。あるいは、この二粒子をさらに繰り返し並べた時、それが十分に長い繰り返しならば、端を除いて、空間的な一様性の反映として空間的に周期的な安定な定常状態となるだろう。さらに、もっと一般の粒子の集合とか、あるいは場の状態まで含めた系全体の状態が、定常的な特徴的な長さLを持つ、という状況を考える事ができるだろう。定常的、とは、時間tによらずx=aとx=a+Lに何かの特徴がある(棒の端点等)という意味だ。これらは、二粒子、あるいは周期構造、さらに一般の構造の安定で定常的な特徴的な長さを議論できるだけの物理法則についての詳細な知識および技術を我々が持っていなくとも、物理法則のローレンツ対称性さえ仮定されていれば、有効な(厳密かどうかは知らないが)議論だ。

そしてこれらは我々の物差しと明らかに関連しているはずだ、という事が相対論的で自然に定義される「位置」「距離」といった言葉を多くの場合無造作に用いてよい理由だと前に述べた。

では、このような、「特徴的な長さを提供する現象」のうちの一つを我々が知っている時、x'=(x-vt)/sqrt(1-v^2/c^2),t'=(t-vx/c^2)/sqrt(1-v^2/c^2)のタイプのローレンツ変換に関する物理法則の不変性から何が言えるだろうか?

x',t'においても同じ物理法則が成り立つということから、直ちに、同じ二粒子が、あるいはもっと一般に特徴的な部分がx'=0,x'=Lにあって安定な定常状態が存在する事がわかる。これをx,tでの記述に戻す(逆変換はx=(x'+vt')/sqrt(1-v^2/c^2),t=(t'+vx'/c^2)/sqrt(1-v^2/c^2)だ)。すると、一方の粒子(あるいは特徴的な部分)の座標はx=vtと表され、もう一つの粒子(あるいは特徴的な部分)の座標はx=vt+sqrt(1-v^2/c^2)Lとなる。

そう、ガリレイ変換の下での対称性ならば、現象を丸ごと等速度運動させた現象もまた成り立つという事になる。つまり、この結果は、x=vtとx=vt+Lになったはずだ。しかし相対性理論が正しければ(もちろん実験はこちらを支持している)そうではなくx=vtとx=vt+sqrt(1-v^2/c^2)Lが、実際に起き得る現象を表している。これが、ローレンツ短縮と呼ばれる現象の、正確な意味だ。

先に進む前に一つ注意をしておこう。それは、我々が物理法則についての十分な知識とそれを扱う技術を持っていれば、以上の結果は、ローレンツ変換を経由せずとも導けると言う事だ。

二つの粒子のx座標が変化するならば、それに伴って、当然、(主に二粒子の近くの)場も時間変化するようになる。このような場合に、二粒子がx=vt,x'=vt+L'というような運動をするような解を求めるという問題を解くのに、必ずしも物理法則の変換性を利用する必要はない。

さて、このローレンツ短縮という結果は、曖昧には「現象を丸ごと等速度運動させた減少が起こるわけではないが、ついでにぎゅっと縮めてやった(実際にはさらに場についてもしかるべき変換を行う)現象なら起こる」とでも記述できるだろうが、さらに簡素に、「運動する棒は縮む」というような時、それは、上で書いた結果の標語的な表現にすぎず、実際に我々が経験する事柄との対応はきちんと検討しなければいけないという事に注意を要する。

一つ目の問題は、何度か、我々の物差しは、相対論で自然に定義される距離や時間を大まかには正しく測ると書いたが、これはある慣性系において静止している物差しで、他の静止している物体を計る時に限るという事だ。

確かに、運動している二粒子x=vt,x=vt+sqrt(1-v^2/c^2)Lの(x,t)系における「距離」を定義しようと思えば、それは等しいtにおける二粒子のx座標の差、すなわちsqrt(1-v^2/c^2)Lをとるのが一番自然だろう。そして等しいtとは、(x,t)系における「同時刻」という言葉で呼んでもよいだろう。

ところが、距離や時間と異なり、「同時刻」だけは、我々が適当に時計や物差しを用いても(近似的にすら)勝手に反映されるものではないのだ。

というより、相対性理論はそもそも、我々が大まかに抱いている「同時刻」に対する「親近感」を否定するのだ。

例えば、ある人に私の発した声が聞こえたらすぐさま返事をするよう頼んでおいたとする。すると、私とこの協力者との距離がそれほど離れていなければ、返事はほとんどタイムラグなく聞こえるだろう。そしてタイムラグがあっても、我々はぼんやりと、それは相手の人間の反応速度が十分速くなかったり、音の速度がそれほど速くなかったためだろう、と考えている。

例えば光を使えばもっとスムーズにこのようなやりとりができるだろう。そうやって十分速い通信手段を使えば、空間的な隔たりにも関わらず、任意に短い時間間隔の間に、何度も何度もこのようなやりとりが行える。あるいは、十分に速い移動速度があれば、いくらでも短い時間間隔の間に、遠方の友人との間をいくらでも行き来できる。このような意味で、空間的に隔たっている人々、あるいは地点と私を隔てているのは技術的な限界であって、「同時刻において彼らはほとんど私の隣にもいるも同然である」かのように感じられる。

ところが、これは幻想であって、相対性理論においては、光速を越えてはいかなる情報(あるいはもっと漠然と影響と言っても良い)は伝わらない。

#正確には、光速を越えて情報が伝達できると、未来から過去に影響を及ぼせるようになるが、そのような現象は今のところ見つかっていないし、そのような世界があり得るとはいくつかの事情から信じ難い(いわゆるタイムパラドクスの問題)ために、一般的にそのような情報の伝達手段はないと考えられている。いずれにしても、今のところ光速を越えて情報を伝達する技術は知られていないし、そのために利用できる物理法則も知られていない。

このために、私が何らかのアクションをし、遠方にいる別の人間がそのアクションが行われた事を何らかの方法で確認して別のアクションをし、それを私が確認するというどのような過程も、かならず、ある一定以上のタイムラグを生じる。この意味で、空間的な隔たりは、時間的な隔たりと同等であり、「同時刻」という考え方、少なくとも、「同時刻な人々に対する根拠なき親近感」には全く意味がない、というのが相対論の一つの重要な主張だ。

従って、t一定を「同時刻」と呼ぶのはあくまでも便宜的な物だ。この「同時刻」とは我々の「同時刻」概念とは全く関係がなく、単に対称性、すなわち時空の一様性、等方性、等速運動に関する相対性が適切に表現される事を最優先事項として見出された(x,t)において、t一定であるという事を、単に呼び名があると便利だという理由で「同時刻」という事に必ず注意しなければならない。

この事は、光速度に比べて十分遅く走っている物体の長さを物差しで測る時には問題とはならない。単にあなたが十分に同時だと思う瞬間に、物体のお尻と頭の物差しの読みを読み取ればよい。

しかし、物体が光速に非常に近い速度で通過する場合、その尻尾の物差しの読みを読む時刻と頭の物差しを読む時刻は、一般には、tが等しいという意味の「同時刻」では全くない。つまり、実際には、物差しの読み方によって、sqrt(1-v^2/c^2)Lとは全く違う様様な値が得られる事になる。

もちろん、tが等しいという意味での「同時刻」における測定を行って、sqrt(1-v^2/c^2)Lが得られるかどうかを調べて相対論を検証するという事は意味がある。実際、異なる位置にある一連の時計が時間のみならず時刻そのものがある慣性系における時間座標tと一致するようにするための、「光を用いた時計合わせプロトコル」は、どんな教科書にも書いてある。物差しの各点にずらりと時計と妖精さんを配置してこのような時計合わせを行い、例えば時刻t=0に自分の所に物体の頭があるかお尻があるか、あるいはそれ以外であるかを記録するように命じる。しかる後にその結果を照らし合わせれば、sqrt(1-v^2/c^2)Lが得られる。しかし、このように意識的に測定方法を準備しなくともsqr自然に(1-v^2/c^2)Lが大体得られるという事は決してない。

状況は、測定が物体から離れて行われる場合により複雑になる。例えば、「運動する物体は縮んで見える」というような事が無造作に言われるが、ローレンツ短縮が問題になるような光速度近くで運動している物体を光学的な手段(つまり眼)で観測する場合、実際に光が観測器にまで届く過程を考慮しなければいけないことは明らかだ。これは着眼点が面白いというだけでその扱いは学生の計算練習以上の物ではない(と聞いているけれど自分でやったことがない。できるよな・・・?)のだが、相対論が世に出てしばらくはかなりの混乱があったようで、初めてこの点を指摘したのはなんとあのロジャー・ペンローズだ(参照:http://research.kek.jp/people/morita/phys-faq/terrell.html)。

この問題を具体的に計算すると、(人の眼が十分な時間的解像度を持っているとしての話だが)運動する球体は、その輪郭は(伸び縮みすることなく)球体のままである、といった非自明で興味深い結果が得られる。よく知られた「不思議の国のトムキンス」を初めとして、「縮んで``見える''」という説明は非常に多いが、これは、「相対論の計算結果を分かりやすく覚える語呂合わせ」程度に捉えるべきだ。
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