RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
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平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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エヌアールリミットワン (2005/09/22(木) 15:48:57)
http://d.hatena.ne.jp/nuc/20050919/p1
http://d.hatena.ne.jp/Akinori/20050918

高校物理の範囲内の電磁気学ですらしばしば相対論を想起させるおかしな点に遭遇する事について。

nucの所にたぶん一番本質的だと思う事について書いておいたのだけど、これは非常に重要な、後で書くように相対論の導入に関する基本的で重要な動機を与える問題なのでもう少し詳しく書いておこうと思う(ただしこれは本当は、件の問題への解答としては不適切だ)。

このような問題に直面した高校生に対して、「電磁気現象は相対論で記述しなければいけないから、相対論とその下での電磁気学を知らずに無造作に他の慣性系に移ると変な事が起きちゃうんだよ。だから、慣性系を固定して問題を解こうね」と、高度な豆知識を教える事は簡単だ。(学校や塾の)教師の中にも、この事を教えてくれる人はいるし、参考書にも少なからず書いてある。

こうした説明はほとんどの場合、「こういう行為は危険なのでしてはいけません」といったスタンスで、しかも「さらに上を目指すならこの程度の事は知っておくべきだ」という姿勢の場合が多い。しかし当然な事でそれにも関わらず容易に無視される事だが、自然科学に難易度のヒエラルキーを導入するべきではない。自然科学は対象、領域によってのみ分類され、それぞれの対象、領域に対してクリアーな俯瞰的視点を与えなければいけない。

だからもちろん、重要な事は、何故そのような行為が危険であるかだ。慣性系を移って問題を考察する事を阻む障害を明確に認識して、慣性系を移ろうなどという気が端から起きない、あるいは、慣性系を移って問題を考察しようとする上で不足している知識が何であるか明確に認識していて、それについて学んで慣性系を移って問題を考察する事を可能にする、のいずれかの状態のみが物理学として正常な状態だ。

この疑問は、相対論の解説書を紐解くと、ますます強固になる。教科書、解説書では必ず、相対論の結果が、低速度の極限でニュートン力学の対応する結果に対応する事を折に触れて確かめる。

それならば、どうして、低速度で成り立つ電磁気の法則があって、それはニュートン力学と整合する法則である、というようになっていないのか?そもそもどうして我々は、地球の地べたを這いずりまわっている時代に、相対論にたどり着けたのか?

実は僕自身、ちょうど高3の時にこの疑問に行き当たった。皆通る道なんだね。

さて、相対論が低速度でニュートン力学に移行するというのならば、この疑問への答えはただ一つ、我々が扱おうとしている現象には、低速度とは言えない部分が存在するという事だ。そう、これらの疑問に対する本質的な答えは、電磁気現象は本質的に光速度のスケールであり、従って常に、相対論的現象であるという事だ。

例えば件の問題では、電荷Qがv_0で動いている元々の系で起こる事を考えてみよう。この時、具体的な電磁気の法則を考えるまでもなく、単に場という描像から考えて、電荷Qが静止している場合のクーロン場(1/rの電位とか1/r^2の電場とかね)をそのまま速度v_0で移動させた状態が実現しているとは考えにくい。

場という考え方は、空間の各点は、そのちょっと近くと、ちょっと未来にだけ影響を及ぼし、その連鎖によって全ての現象は起こるという描像だ。従ってこの場合、粒子の移動に伴って場は時間変化する事になる。水面で指を動かした時のように、粒子の移動が引き起こす場の変化は、空間を、細波の如く広がっていく。こうして引き起こされる場の時間変化が、ちょうど、静電場を速度v_0で移動させた状態に偶々一致するなどというのは、相当に考えにくい。そのためには、場が従う法則は、非常に特殊な条件を満たす必要があるだろう。

そして、この細波の伝播速度は光速度cと呼ばれるのだが、相対論とニュートン力学の最も典型的な相違、光速度不変の原理とはすなわち、この電磁気現象の伝播速度cが慣性系の移行に伴って変わらないという事だ。つまり、我々が粒子だけに着目していようとも、我々の見ていない所で伝播速度cに従う物理的過程が存在して、この伝播速度cは、ニュートン力学に全く従わないのだから、電磁気現象を扱う限り、相対論を全く意識しないという事は土台無理な話なのだ。

#そもそも場、すなわち空間の各点に固定された自由度という物を考えた時点で、合同変換以外の変換に対する対称性というものは、考え難くなるのである。場の従う方程式を全く適当に作れば、それは普通、ガリレイ不変でもローレンツ不変でもない。だから、エーテルに対する絶対静止系という考え方は実は場という考え方の下で非常に自然なのだ。一方、粒子と力による描像では、いくつかの仮定の下でガリレイ不変性が自然に出る。例えば粒子間の力が位置だけで決まるとすれば、並進対称性と回転対称性からその大きさは粒子間の距離だけにより、その向きは粒子間を結ぶ線分の向きだ。これは自動的にガリレイ不変性を満たす。

これらの事情は、相対論を導入する基本的で重要な動機を与える。つまり、我々が亜光速宇宙船に乗り込むまでもなく、電磁気現象は容赦なく我々の周りを光速度で飛び交っているのである。それはつまり、我々が地球の地べたを這いずり回っている時代に、相対論に至る事が出来た、というよりも相対論に至らざるを得なかった理由でもある。

つまり、相対論とは、(相対的に)高速度な運動における理論という以前に、電磁気の理論だ。電磁気現象に興味がないというならばともかく、電磁気現象を扱おうと思ったら、相対論の導入は不可避だ。粒子が低速度で動いていて、慣性系の変換も低速度のものしか扱わないという場合に、ある次数で有効な理論という物を作る事はできるだろうが、しかしそのような理論でさえ、必ず、ニュートン力学の範疇を超える性格を持つはずだ。

この事は物理をやっている人でもしばしば誤解している、あるいは正しく認識していない事がある。上でも書いたように、難易度に応じて物理学のトピックを並べるというのは正しい姿勢ではない。重要な事は、どの対象、どの領域をいずれの理論が記述しているのかという事だ。扱いたい対象、領域を定めると自然と学ぶべき事項(あるいは研究すべき事項)が定まる。だからこの点に関する誤解は致命的な問題だ。

#余談だが、この点で、相対論のパラドクスの類が、ほとんど常に(相対的な)高速度での運動を問題としているのは明らかな歪みだろう。
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