RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
200503 << 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >> 200504
スポンサーサイト (--/--/--(--) --:--:--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
エヌアールリミットツー (2005/09/22(木) 21:24:57)
念のために、一つ前の記事で「ただしこれは本当は、件の問題への解答としては不適切だ」と書いた事について補足しておこう。

まず一つは、相対論での電磁気学を知っていればすぐに分かる事なのだけど、ここで生じている誤解は、電場と磁場は独立したベクトル量であるという物だ。相対論での電磁気学を見てみると、電場と磁場は、テンソルと呼ばれるベクトルとは全く異なった物理量の成分として現れる事が分かる。つまり電場と磁場は実は合わせて一つの物理量で(だから電磁場と言う)極限をとったからと言って二つの独立したベクトル量に分かれるとは考え難いし、事実そうはなっていない。つまり、Qが静止して見える系で計算した電場が、そのままQがv_0で運動している系での電場だと考えた所に誤りがある、というのが、正しい説明という事になるだろう。

もう一つは、前回、電磁場の絡む現象は本質的に光速度の現象であり、従って相対論的な現象であると書いた。ところがそれならば、静電現象についてはその限りではないはずだ。この場合我々は電磁場を表立って考える必要がなくなり、その限りにおいて、非相対論近似でニュートン力学との整合性が得られる。

二つ目の点について考えると自然と一つ目の点にも至るので、まず二つ目の点から述べよう。

粒子Qが静止している系S'で、粒子Q'はそれらの距離の逆二乗、r^2に比例した力を受ける。これが観測事実(クーロンの法則)だ。Qが速度v_0で動いている系Sに移行しよう。非相対論近似で、距離、速度、加速度および質量の変換性はニュートン力学のそれに移行する。従って、非相対論近似では慣性系の移行に伴って力は変化しない。距離も変化しないのだから、力は、値としてどちらの系でも変わらないだけでなく、関数形として同じ表式(クーロン力)を持つ。このように、現象がクーロン力で捉えられ、慣性系の移行も非相対論的な範囲に限るならば、ニュートン力学が通用する。

また、この対象範囲の下で、もし電場をクーロンの法則の書き換えという視点によってのみ導入するのならば、やはり相対論と電磁気学を想起させるような事は何も起きない。つまり、S系における電場の時々刻々の値E(x,t)は、S'系における電場の値(これは静的なのでt'を省こう)E'(x')と、E(x,t)=E'(x-v_0t)の関係にある。電場は単に流れるだけで、これはクーロンの法則を通じて電場を定義するのならば定義より当然の事だ。

問題は、電場とは、このようなクーロンの法則を書き換えるためだけの人為的なツールというわけではなく、特定の測定方法によって特徴付けられる物理量であるという事だ。

整合性の問題を生じない電場と磁場の測定方法を通じた定義は例えば次のような物だろう。

まず、静止した粒子を静止させ続ける事を考える。これにはしばしば力を要する。すなわちそのような場合、粒子は何らかの力を受けている。この時、十分に同地点、同時刻において、異なる電荷の間でこのような力は必ずしも等しくないのだが、常に一定の比になっている。これは観測事実だ。そこで、これらの粒子にこの比に応じて電荷という値を割り当てる。そして、電荷が受けている力を電荷で割って「電場」として定義する。つまり、f=qE

#この思考実験色々問題があるので余り突っ込まないでね。特に磁石とかスピンのような磁気双極子を無視して、世の中には荷電粒子しかなく、磁気双極子は全て電流による、という相当に危うい前提に基づいている。

次に、同じ場所を、電荷の速度を一定に保ちながら通過させる時に力が必要な場合が考えられる。再び、これは電荷が力を受けているという事だが、これは上記の静止している場合と異なる場合がある。しかしその余剰分は、常に、電荷によらず、qvxBと書けるようなベクトルBが存在する。これも観測事実だ。そこでf(静止)=qEによって電場Eを定義し、f(vで運動)=q(E+vxB)によって磁場Bを定義する。

このように定義すれば観測事実が正しい限り、これらE,Bがどのような物理法則に従うかはいざ知らず、慣性系を固定して考える限りは問題が生じる事はない。これは単に、EやBが二重に定義されるといった事がないからだ。

しかしこのように定義するならば、異なる慣性系における電場と磁場、すなわちEとB,E'とB'の間の関係は全く自明ではない。

今、電荷Qを静止させておく。別の電荷Q'を色々な所においてみると、電場が出来ている事が分かる。一方、この電荷Q'を色々に動かしてみると、磁場はできていない事がわかる。
一方、電荷Qを動かしてみる。そして別の電荷Q'を色々な所においてみると、やはり電場が出来ていることがわかる。さらにQ'を動かしてみる。すると、速度を維持するために先ほどより余計な力が必要な事がわかる。つまり、

・静止電荷は電場を作るが磁場を作らない。
・運動する電荷は電場と磁場を両方とも作る。

という事が言える。これらは上で与えた電場と磁場の定義の下での観測事実だ。

そしてこの事から直ちに、慣性系Sでの電場や磁場として、S'の電場や磁場を流用してくるわけにはいかない事が分かる。Qが静止しているS'系で、Qは電場を作るが磁場を作らない。一方、S系では、Qは運動しているので電場も磁場も作る。

このように、十分に静電的現象では、クーロンの法則による遠隔力の描像でちゃんと扱える。これは常に速やかに静電場(クーロン場)が実現して、電磁場の存在が表立たないからだ。

一方、それにも関わらず欲張って、静電的現象で電場や磁場を考えようとするならば、この現象で電場や磁場の存在が表立たない以上、それらの定義を注意深く調べなければ、何も言う事はできない。静電的現象に関する限り、ローレンツ力は、法則というよりも、電場と磁場の、力を介した定義だ。それは、f=q(E+vxB)と力を分解して電場と磁場を定めるという物で、ここに戻ると、初めから、EとBは独立ではない可能性が示唆されている事が分かる。事実、いくつかの観測結果によれば、そうだ。

静電的現象に関する限り、このように電場と磁場を定義する必要性は全くない。単に、電荷qは運動していようと静止していようと、距離rの位置にq/rの電位や(q/r^2)x/|x|(xは相対位置ベクトル)の電場を作るとしてもよい。いずれにせよ、このようにいくら定義をいじろうとも、何か新しい事が出てくるわけではない。静電的現象のみを興味の対象とするならば、電場と磁場を定義する動機は全くない。

電場、磁場が重要なのは、電磁気現象を様様に調べると、どうしても、局所的な影響が連鎖的に伝播していくという風に捉えるしかなくなるからだ。そうすると、どこか遠くにある電荷が動いているか静止しているかに関係なく、局所的な状況が全て同じならば局所的には物理的に同じ状態であると考えて、物理量を定義すべきという事になる。

すると、電場や磁場という物を、クーロンの法則を通して定義するなどという事は決してあり得ず、(いろいろ問題はあるが)ここで提示した定義や、それと余り変わらないような、いずれも必ず局所的な定義によって電場と磁場を定める事になる。

ところが、局所的な状況という物は、慣性系を移ると変わってしまう。ある慣性系で静止している粒子が受ける力と別の慣性系で静止している粒子が受ける力とは異なるのが普通だ。だから、電場や磁場のような局所的に定義された物理量(つまり場)は、異なる慣性系で値を無造作に流用するという事は一般的にできず、必ず何らかの変換性を持つ事になる。しかも、ローレンツ力に見られるように電場と磁場は特殊な状況でなければ必ずセットで顔を出す。f=q(E+vxB)の分解は人為的な物であり、EとBが独立な変換性を持つと考える根拠は何もない。事実、上で書いたような簡単な観測事実から、Eの変換式には必ずEもBも入り、Bについても同様である事が分かる。

まとめると、
非相対論的範囲で、静電的現象はクーロンの法則だけで扱える。この場合電場と磁場を考える動機は全くない
・それでも電場と磁場を通常の定義に従って導入すれば、相対論だニュートン力学だローレンツ変換だガリレイ変換だという問題以前に純粋に定義といくつかの観測事実から、電場と磁場は合わせて一つの物理量であり、慣性系の以降に伴って、合わせてある特定の変換を受ける、という事が言える。

件の彼はクーロン力から出発して運動する電荷の作る磁場やクーロン力を議論しようとしたのだと思うけれど、その最終目標自体が初めから電場と磁場が慣性系の移行に伴い合わせてある特定の変換を受ける物理量である事を示唆しているので、異なる慣性系で電場や磁場の値を流用できる、と考えてしまえば当然最終目標にはいつまで経っても辿り着けないというわけです。だから、これは相対論だニュートン力学だという以前の、定義と観測事実を吟味せずに全く自明でない主張を勝手に認めてしまった、という基本的なミスだというわけです。

まあもちろん、イーヤジルシとか、ビーヤジルシとかいう表記はどんな本でも採用されているのが如何ともし難いし、でも実際には電気的現象と磁気的現象はほとんどの場合分けて考える事ができるのでそういった表記を破棄するわけにもいかないわけですが。。。

これは余談ですが、やっぱり、何をどう言い繕おうと、自然科学って言ったって伝統と慣習の嵐なわけで、パラダイム論的な見方ってのは、自戒としての問題提起としては常に重要なのだと思います。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
(C)Copyright 2003-2007 by Ruke All rights reserved. Powered By FC2. VALID HTML? VALID CSS?
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。