RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
201705 << 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >> 201707
スポンサーサイト (--/--/--(--) --:--:--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カンタムフィールドツー (2005/10/15(土) 02:26:11)
朝永先生が、量子力学の教科書のIII巻として出版する予定だった原稿の、後半を丸丸ヒルベルト空間のお話に割いているというのは、時期を考えればしかたのない事でもあるのだろうけれど、微分方程式と波動関数による方法こそが「初等的」で、ヒルベルト空間論の下での定式化は、特に数学的に厳密な議論に興味がある人だけがさらに上を目指して学ぶものというスタンスで書かれているような印象を強く受ける。実際そのような感覚は今でも、教える側、学ぶ側の双方に少なからずあるようだ。

しかし、駒場で清水先生の量子論の講義を聴いた事がある人や、その教科書を呼んだ事のある人なら(ちなみに清水先生の教科書は、ヒルベルト空間や物理量の取り方などについての比較的突っ込んだ説明があったりして一般論として応用性が高い記述になっているという点で評価できると思うけれど、このような本を始めて読むのならば、似たようなコンセプトでかつもっと泥臭い記述を進んで行っているアイシャムの本の方が僕はお勧めだ)賛成してくれると思うけれど、ヒルベルト空間の元(性格には射線)によって状態が記述される、という事実を何をさておいても提示する量子論の導入は、本質的であるとか良い、好ましい、正しいという事以前に、何よりも、最も簡単だ

まず状態が記述される集合を提示し、その上で物理法則を記述していくというアプローチは、机上の空論に限っては、全く疑問の余地がない。その正否は単にこの世界を正しく記述しているかどうかによって議論されるのみで、それ自体が云々される物ではない。つまり、このようにして法則が記述されている限り、我々は少なくともその法則に従って世界を作ってみる事ができると確信できる


それが実際の世界を正しく記述しているかという事について何らかの判断を下せるほどには、ほとんどの学習者はこの世界について何も知らなすぎる。量子力学の「不思議で奇妙な点」を強調するような「啓蒙書」を読んで僕らが「本当にこんなわけの分からん理論が正しいのか?」と思う時、それは、量子力学が僕らの日常的な経験と整合しないからではなく(とはいえ多くの本で、量子力学の特徴的な部分や結果を無造作に我々の日常的経験に適用する記述が見られるのは確かでこの限りではないが)、「``実は''物質は粒子であると同時に波なのです」「``実は''我々によって観測するまで何ものも実在していないのです」「``実は''観測は対象に影響を及ぼしてしまうから、確定した性質というものはないのです」といった数々の「後だしジャンケン」が、世界に対する一貫性を持った知識を与えてくれるとは思えないからだ。あるいはそれは、その法則が実際の世界を記述しているかどうかという事以前に、その法則に従って世界を作る事が可能であると確信する事すらできないという事だ。

際立った才能に恵まれている人間は、後者のような正当性が十分に明らかではない「直感的理解」によって物理学(に限らないけれど)を一人で何十年分も進めてしまう。それを学ぶという事は僕ら学習者にとって余りにも難しい。しかし前者の、明瞭で疑問の余地のない記述ならば、僕らが学ぶ事は簡単だ。それは基本的に簡単であって、もし理解を阻むものがあっても、それが何であるのかは(例えば計算が煩雑であるとか、技術的な知識に欠けているとか)明確に認識する事ができ、自分が「向いていない」のではないか、と悩む必要はない。

実の所、このようなヒルベルト空間上での状態の記述を第一に表立てて量子論を導入するというのが「本質的」であるかどうかは、大いに議論の余地がある。本質的であるという言い方は常に重要ではあるが、同時に完全に主観的だ。しかし何よりもまず第一に、それは、簡単なのだ。少なくとも机上の空論、紙と鉛筆の議論の段階では、全く疑問の余地なく僕らはそこに書かれている事を了解する事ができ、実験、観測事実と一致しているかの判定を待つのみとなる。

だから、このようなヒルベルト空間上での状態の記述を前面に押し出す方法を、「本質的だが難しい、高度だ」と捉える事は全く持って見当違いだ。より簡単であるという理由ではなく、「どのような系もあるヒルベルト空間によって記述され量子力学の一連の形式を満たす」という主張は余りにも強すぎて、それを単に実験と合うという理由から出発点におくには、我々はこの世界について余りに何も知らなすぎる、という信念から、観測事実-物理的直感に大いに依った理論の修正、再構築の連鎖を進めていく、徹頭徹尾現象論的な(あるいは歴史的、伝統的な)アプローチを取るということは十分に正当であろう。しかし、それを、そちらの方がより簡単であるという(多分自分がそういう道筋で学んでいったためにそう思えるのだろうが)理由によって採用してはならない。大抵の場合本質的であると言われるアプローチは、本質的であるという点については議論の余地のあるものの、明瞭で疑問の余地のない視点を提供するという点で、「最も簡単なアプローチだ」。

ワインバーグの場の量子論の本が評価に値するのは正にこの点だと思う。一般的な評価はむしろ逆だろう。つまり、「ワインバーグ本は本質的な事が書いてあるが難しい」。だが、むしろそうではなく「本質的であるかについては大いに議論の余地があるが、しかし疑いようも無く最も簡単なアプローチを取っている」のがこの本だ。その事は実は(これを書きながら改めて読み返して気づいたのだけど)ワインバーグ自身が明言していさえする。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
spam
2005/10/15(土) 19:16:41 |でろでろ|URL | #vXeIqmFk[ 編集]
info@系のスパム止まった?
2005/10/15(土) 19:19:44 |Ruke|URL | #.85f1Vro[ 編集]
おお、止まっているー。何があったんだろう。。。でろの所でもって事は、プロバイダで対策がされたわけではないのかな?
2005/10/15(土) 21:30:18 |Ruke|URL | #-[ 編集]
あ、今来た(笑)。
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
(C)Copyright 2003-2007 by Ruke All rights reserved. Powered By FC2. VALID HTML? VALID CSS?
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。