RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
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平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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カンタムフィールドスリー (2005/10/15(土) 21:43:56)
ワインバーグが場の量子論を説明する中心的な視点は、「物理学は随分な紆余曲折を経て場の量子論に到達したけれど、良く良く考えてみれば、相対性論的量子力学に基づく``まともな''理論は、低エネルギーでは、場の量子論の形式で書かれるに決まっているじゃん」という物だ。

もちろん、物理学では、少数の要請から全てを演繹するという構成をあまりありがたがってはいけない。公理系によって抽象化、形式化を行う数学の場合とは異なり、常に具体的なこの世界を扱う物理学では、少数の要請から多くの興味深い結果が得られるという事は、それらの要請が(見かけ上自然に見えるかどうかに関わらず)それらの結果の全てを要求してしまう事と同程度の、とてつもなく強い要請であるという事を意味するからだ。数学ならばそれは、対象の最も基本的な特長付けを抽出したという事になるだろう。しかし物理学では、それは単に問題が整理されたという事にすぎない。

物理学が全てを机上の空論で扱えるなんてことはあり得ないから「世界が偶々このようになっている」という部分が生じるのは当然の事だが、それが余りに強すぎる主張であれば、その由来についても物理学の興味の対象となるのは当然の事だ。何故その原理が厳密に要請されるべきなのかについての疑問は解決されるべき課題として残される。ひょっとしたらそれは偶々であって、そのような原理に従わない世界という物を十分に想定する事ができるかもしれない。あるいは、そのような原理が部分的にほんの少し崩されただけで、この世界の重要な性質や構造が直ちに完膚なきまでに破壊されてしまうのかもしれない。あるいは、異なる領域における未知の理論が偶々、あるいは必然的にそのような原理を要請するのかもしれない。

この事はワインバーグ自身明確に述べている。ワインバーグの議論ではまず相対論と量子力学を同時に考慮した時に直ちに議論できる事項として粒子について議論し、その相互作用を構成する上で場が導入される。この構成についてワインバーグは「これは粒子が必然的に場よりも本質的だという意味ではない~中略~この本で私が粒子から出発するのは、それがより本質的だからではなくて、我々が粒子について知っていることはより確実で、量子力学と相対論の原理からより直接的に導く事ができるからだ。もしある物理系が場の量子論では記述できないとなるとそれは大事件となるであろうが、もしその系が量子力学と相対論の法則に従わないとなればそれは天変地異というべきであろう」と述べている。この物理学の論理性に関する誠実な姿勢は、公理主義という言葉を水戸黄門の印籠か免罪符のように扱う風潮の強い物理学の世界において、際立って好ましい。

つまりワインバーグは、(それらもまた観測と実験によって確かめられるべきものではあるものの)相対論と量子力学をとりあえず(今となってはほとんど無批判に)認めてしまって良いと通常見なされるとほとんど同程度に、場の量子論のみがほとんど唯一の可能性であると机上の空論の段階で既に認めてしまって良いということを始めの数章で議論しているのだ。
#逆に言うと、相対論と量子論という二つの基本原理から場の量子論の形式という非常に強い結果が導かれてしまうにも関わらず、実際に実現しているのは確かに場の量子論であるという事から、相対論や量子論が何らかの幻想ではなく、相当に厳密に成り立っているという事が示唆されるという事でもあるだろう。

この事は、場の量子論の標準的な教科書で学習者が、数々の論理の飛躍にたくさんの疑問符を残しながら、「実験と一致する」という伝家の宝刀を前にして結果だけを受け入れるというスタンスを取らざるを得ない(何しろその後にも経路積分とかファインマンルールとかさらに具体的な相互作用の理論とか習得すべき難しい事項は山ほどあるのだから)事と比べれば、その利点は明らかだろう。

#というか、自分の場合、食わず嫌いで投げ出しているのでよくわからないのだが。。。突然波動関数を電子場と呼びだして、シュレディンガー方程式を与えるラグランジアンを探してハミルトン形式に移行して正準量子化なんていう議論が1ページ目から展開されていれば、普通は目眩と頭痛がして先になんか進めないと思うのだけど。。。それを頑張って読みこなしてこその物理学科生だと言われれば挑戦せざるを得ないのだろうけれど、もっと簡単な方法があるのに、わざわざその苦行に立ち向かうというのは、特に素粒子現象に特別な興味があるわけではない自分としては、全くやる気がおきない。

もちろん、場の量子論自体には、相対論と量子論と局所性の要請だから導かれる義理はない。それが数多くの理論の可能性のうちの、単に実際に成立している事が確かめられている理論であっても良いのだ(というか普通、具体的な物理学の理論は常にそうだ)。

しかし、場の量子論の成功と同時並行的に進められてきた他の可能性の検討の結果として「どんなまともな理論も場の理論で記述される」という視点が得られたという事は、「場の理論の形式自体は、ごくごく当然の別にどうという事はない代物だ」というレベルにまで整理された理解が得られたという事で、そうである以上、そのような理解は場の量子論に限らない様様な理論の可能性を研究する事で培われる秘伝の感覚に留めるべきではなく、まず何よりも、専門家にとっての超基本事項を学ぶためにも四苦八苦している学生に還元されるべきだ。理論には簡単である義理はないが、しかし実際理論が簡単であるというのならば、その事実から直ちに恩恵を受けるのは、既に理論を習得してそれを縦横無尽に使いこなしている専門家ではなく、明らかに僕ら学生だ。このワインバーグという理論研究の大御所は、実は随分と教育的な人物だ。

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