RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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セツドー (2005/10/19(水) 22:19:05)
先週の演習の時、先生が定常状態の摂動の方法を0から丸丸説明して、その中で不定な項についての説明におかしな点があってもめた。具体的には、定常状態の摂動を計算する時出てくる不定な項を、出発点に取る無摂動系の固有状態の位相因子分の不定性によって説明していた。

そもそもこのトピックは先学期の講義内容なので、学生の側が疑問の余地なく了解しているべきだし、そもそも演習なので先生が綿密に準備する必要なんて全然なくって(まあ強いていうならば演習の時間に一つのトピックを丸丸説明するなよ、という事になるけれど)、学生だけで解決できない問題が出てきた時に頭の中にある「よくある説明」をしたり、あるいはその場で考えて何らかのコメントをする程度で十分で、変なことを言ったからといって責めるべきものではないだろう。ただ、我慢ならなかったのは、そこで先生が行ったおかしな説明というものが、実際にいくつかの本で(恐らくは実用上大した問題を生じないために、さらに別の本から無頓着に孫引きしているのだろうが)採用されているという事だった。

アカデミズムというものの評価できる点は、「知識が退行することがありえない、従って長期的な視点で見れば必ず進歩する」という枠組みを巧妙にそして最大限に実現しているという事だ。だからそれが適切に遂行されている限り、僕は個々人の行いという物には最大限寛容であっても良いと考える。

しかし実際には、そのような巧妙な仕組みの下でさえ人の愚かさは容易に進歩を阻む(実はこのwikipediaについての言及とそれに続く記事はそういう事をwikipediaをダシにして書こうと思ったのだけど、先が続いていない、、、)。僕にはそういう「進歩が期待できない状況」という物が全く持って我慢ならない状況として感じられる。

あの場で、先生には、綿密に準備してきて疑問の余地のない説明を与える責任はないし(講義においてさえ学生は自分である程度補う事を求められているはずだ)、先生が提示した説明が多くの本で実際に書かれている物なのだからなおさらだ。ただ、あの場で問題点を指摘したとして、よほど明確に指摘しなければ、問題点はその場にいた他の学生には了解されないだろうし、そうすればほとんどの学生は先生が言っている事の方を曖昧に受け入れるだけになるだろう。実際、僕はおかしな点を指摘したのだけれど、それは問題点を明確にはできていなかったので、時間を無駄に(しかも大量に。ごめんなさい。特に発表者。。。)消費するだけになってしまった。そうして、人が積み重ねてきた知識の体系へのフィードバックは、完全に0となって進歩の余地が失われる。物理では数学的な厳密さというものは多くの場合軽視されるという事について僕は相当に好意的に捉えているし、実際ここでの問題点は実際の現象の解析においては実際に余り関係ない些末なトピックだ。だから摂動論が使えるようになる事を第一に考える姿勢それ自体は問題ないと考える。しかし、それは、そのような些末なトピックについても、時と共に次第により明瞭な理解が広く形成されていくという前提の下でだ。実際にはそうではなく、それならばそれは、学問のこの領域の正当性すら破壊していまいかねない看過してはならない問題だ。

問題設定を整理しておこう。定常状態を摂動の方法で議論するために通常の手順では
・H=H_0+eVの固有状態を
・H_0の一つの固有状態を|n>として
・|n_perturbated>=|n>+e|n,1>+e^2|n,2>+O(e^3)(二次までで打ち切った)と置いて解を求める
という計算を実行する。そうすると、単に計算によって、各次数の項のある成分は決まり、他の成分は不定のまま残る事になる。

そう、我々は|n>をfixして、e->で|n>に行くような解を計算し、そして解が存在するための付加的な条件が要請されるのを見出す事すらなく、解が求まり、その時ある不定な部分が生じた。その計算の過程を、教科書に書いてある計算を何となく辿るのでなしに明瞭に了解していて、自身と確信を持って見通しているのならば、その不定性が問題設定に何か問題があった事を表しているのでも、あるいは、我々の能力不足によってその部分が不定になっているのでもない事を明確に確信する事ができる。あるいは、改めて解を固有方程式に代入してみると、その不定な項がどんな値であっても(もちろん摂動の方法が正当化される程度に小さくはあるべきだが)、方程式が考えている次数で満たされている事をチェックできる。

つまり、我々は|n>をfixしてそこから出発して解を求めて、その際不定性が生じた。だから、その不定性を、|n>の位相因子分の不定性に求めるのは、勝手に問題設定の範囲を広げていて、明らかに筋違いだ。

この問題設定の下で確かにその不定性が生じたのだから、この問題設定の下での解の不定性を見ればよい。縮退の問題を除けば(それは摂動の各項の計算で反映される)この問題設定の解の唯一の不定性は、

もし|n_perturbated>が解ならば、e->で1に行くような任意の複素関数f(e)を用いて、f(e)|n_perturbated>もまた解である

もちろん摂動の方法は漸近展開であって冪級数展開ではないから、このf(e)というのは、ある冪級数展開を適当な次数で打ち切った時に初めて意味を持つし、その微係数は余り大きくなくてはいけない事を念のため注意しておこう。

例えば二次までとってこのf(e)=1+f'(0)e+f''(0)e^2/2+O(e^3)を乗じる事により何が起きるのかを調べると、確かに、例えば一次の摂動項に対して、f'(0)を適当に調節する事で0次の摂動項(今fixしている無摂動系の固有状態)に比例する任意の項を付け加える事ができる事がわかる。これは確かに我々の計算で決まらなかった部分だ。

同様の計算をすると、二次の摂動項についても我々の計算で生じた不定性が正しく出てくる事が分かる。これは具体的には、一次の摂動項を固定した上では、やはり、零次の項に比例する成分だ。

このようなチェックにより、我々の計算で生じた不定な成分は、摂動の方法が正当化される範囲で勝手に置いてしまって良いという事がわかる。

この置き方としてどのような慣習を採用すべきだろうか?一つ考えておくべき事は規格化だ。明示的に書いていないが、今、|n_perturbated>はeの関数であるから、そのノルムもまたeの関数だ。だからf(e)を乗じる不定性の範囲で、|n_perturbated>のノルムは調整できる事になる。逆に言うと、我々の計算で決定してしまった項は、実はノルムに全く関わっていない項という事になる。

実際にノルムを計算してそれが1と各次数で等しい(つまり零次(これは規格化された無摂動系の固有状態から出発すれば自動的に満たされる)以外は0)とすると、規格化の条件が不定な成分に対して課される。これをみると、一次の項の零次の項成分については、その実部が0であるという条件になり、虚部は未だ完全に自由に決定できるという事になる。規格化を考えなければ、一次の項の零次の項成分について単に0と置くのが最も簡単であろうが、それは規格化の要請の下でも問題を生じないとなれば、そのように置かない理由はない。従って、慣習的に、一次の摂動項の零次の項に比例する成分は通常0に取られる。

一方、二次の項については少し違う事が起こる。規格化を要請するならば、二次の項の零次の項成分の係数は、その虚部は未だ全く自由であるが、実部に関しては、-1/2倍の一次の項のノルムに等しいという結果が得られる。ここで問題にしている適切でない説明しか見た事がなければ、摂動の各項の零次の項に比例する成分は全て0として良いと考えている人も多いのではないかと思うが、規格化を要請するのならばそうではない。

#先週の発表者は、これはシッフの本にある方法だそうだが、|n_perturbated>の|n>に比例する項はちょうど|n>として、・|n_perturbated>=|n>+e|n,1>+e^2|n,2>+O(e^3)において、<n_perturbated|n>=1として計算していた。この方法では、もちろん、一次以上の各次数の項の、|n>に比例する成分は0だ。つまり、規格化の要請を行わなければ、その場合は摂動の各項の零次の項に比例する成分は全て0として良いし、あるいは、規格化の要請の代わりに<n_perturbated|n>=1を要請すれば、先の(二次以降については簡単ではなくなる)規格化の条件の代わりに、一次以上の各次数の項の、|n>に比例する成分は0という条件が得られる事になる。これは確かに採用するに値する慣習だろう。

付け加えるならば、物理の本では、ある問題をとりあえず何らかの方法で、その方法が全く正当であるかのように無頓着に扱った上で、問題点が生じると、「実は~」と後だしジャンケンのように説明を加える事が多い。それでもその説明が適切ならば良いのだけれど、しばしば、問題を勝手に広げたり狭めたりする、説明になっていない説明が見られる。

これはパラドクスがいつまで経っても無くならない(パラドクスがある方が楽しいというパラドクスを作る側の事情とは異なる、物理学側の)主要な要因だ。パラドクスの個別の説明の多くは、その種のパラドクスが生じるはずがないという確信に貢献しない。

摂動の問題の普通の本の説明の仕方だと、まず摂動の各次数の項の決まる成分を求める計算をする。初めて読む時は計算を追うだけで精一杯で、問題設定の全ての条件を余す事無く使っているかどうかについて確信を持つ事なんてできないだろう。その上で、生じた不定性について「実は~」とくれば、その不定性が条件に使いもらしがある事によるものなのか問題設定が初めからそれらの部分を決める条件を含んでいないのかについて正しく判断する事ができないままに、曖昧にその説明を受け入れるという事にならざるを得ないだろう。

だから、摂動の計算を説明する場合には、まず結果に生じる不定性をチェックし、例えば規格化を要請するならばその時その不定な成分をどのように決定すべきか示し、残りの成分についてはちゃんと計算すれば必ず決定する事の確信を読者に持たせた上で計算に進むべきだと考える。

前に書いたように、この摂動の計算の不定な成分の問題は、大抵の場合余り重要でない些末な問題だし、こうした議論について納得できない部分を解きほぐして消化するのは常に学生の仕事だから、正しい事が書いてあれば議論の順番に注文をつけるべきではないだろうが、結局そんな所で学生は混乱する物だし、先に書いたように進歩が阻まれる状況が形成されてしまっているので、これから教科書を書く人は考慮してもらえると嬉しい。ちなみに先学期試験勉強を兼ねて作ったこの文書は(規格化を必ず要請するようになっているが)そうなっている。
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