RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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イサギヨサ (2005/03/17(木) 01:05:48)
僕にとっての一つのキーワードは潔さと気高さだ。

僕は大抵のことについて強い主張を持ってはいない。自分の行動原理は幾つかあるし、それに対するこだわりは強い。しかし人に対して主張したり押し付けたりできる物はほとんど(おそらくは一つも)ない。

ただ、同時には期待できない物を求めようとする姿勢に出会った場合にだけは必ず、批判の対象とするだけでなく、憤りすら覚える。それはそのような姿勢だけではなく、そのような姿勢をとっている主体自身に対しても向けられる。主義主張思想信条に関わる議論を歪ませる原因の大半がこの種の姿勢だからだ。

例えば、ある二つの対立する主張A,Bがあるとしよう。ある人Pが全く感情的にAを選んだとする。この感情的に選ぶという行為自体をあるいは肯定あるいは否定したい人もいるだろうけれど、僕はそのような議論にはほとんど興味がない。ただ、Pがこのように感情を根拠に選択をするならば、「私は感情によって選択をするのだ。外野の意見など関係ない」と断言できなければならない。何ら後ろ盾を持たずにこのように断言する心こそが気高い心だ。そして自由こそがそれを許すのだ。

ところが往々にしてPは感情によってAを選んでなお、Aを選ぶ事の正当化を求める。その結果自分の選択にとって都合の良い議論のみに目を向ける事になる。これが潔くないという事だ。このような潔くない姿勢は多かれ少なかれ物事を(この場合はAとBの選択に関する議論を)正常な姿から遠ざける。

正当化を求めるという事は、できる限り正しい物を選択したい、という事でなくてはならない。そしてそうであるならばPは自身の感情を判断を狂わす制御できない情動と見なして抑制しなければならないはずだ。Pはできる限り多くの判断材料を集め、そこからできる限り正しい判断を導くよう努力しなければならない。その結果はひょっとしたらPの感情を満足させないかもしれないがそれは受け入れなければならない事だ。それが潔さという物だ。そしてこの場合Pは気高い心によって「私は思考し検討し、できる限り最良の判断を行おうと努力する。感情に反する結論に至ろうとも関係ない」と断言できなければならない。

自由主義だ民主主義だと言っても、結局僕らは自ら(まあその主体性は必ずしも確実な物ではないけれど)法を作り規則を作り、様様な制限を作る。そうしなければ社会は成り立たないからだ。自由とは規制がない状態を意味しない。自由とは、気高い心を持って良いという権利を意味する。

だけれど、合理的でも道徳的でもない、聖人君子の対極にいる平凡な一市民の一行動を、確かに自身による選択なのだと断言するという事は、単なる心の持ちように過ぎない(口先だけで言う事すら容易だ)にも関わらず物凄い重荷だ。僕らは簡単に気高い心を持つ権利を捨て去る。そうして、潔くない行動、思考が世にはびこり、多くの歪みを作り出している。
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