RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
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And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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ミズスリー (2005/11/19(土) 03:22:50)
前回書いたように、最大の問題は、。「相手が嫌な思いをするから汚い言葉を使わないようにしましょう」と言う時には、ただただそれだけを真摯に言えば良く、(相手が嫌な思いをするという事以外に)それ以上のどんな理由付けも必要ないという事だ。
ところが「水からの伝言」を題材にする道徳の授業では、その理由として、水に良い言葉をかけると綺麗な結晶ができ、悪い言葉をかけると醜い結晶ができる事を挙げる。

例えば、ちょっと感情を持っているとは思えずそれどころか生物とすら思えない水ですら綺麗な言葉をかければ喜び、汚い言葉には傷つく。だから、人間に対しても綺麗な言葉を使いましょう、と言うとしてこれは全くおかしな話だ。

確かに水が言葉を解し感情を示すというのは驚くべき事実だ(正しいならば)。だがだからと言って、人間に対する行動を考える時に、どうして水の反応を参照しなければいけないのか?

これは人間と水は違うという事以前の問題である。

例えば我々は動物園の檻の中にいる動物のストレスという物に無頓着になりがちだ。そこで、それを意識させるために「人間だって、狭い檻の中で一日中生活させられて、一日中他の生物の興味本位な目に晒され続けたら嫌でしょう?」という風に言う事がある。このように、自分達とは大体似ているけれどちょっと同一視し難い程度には異質な存在について考える時に、もし自分達だったらと考えてその結果を延長するというのは、そのような延長が許されるかという問題はあるにせよ一定の意味がある。

だが今問題になっているのは人間と人間のコミュニケーションだ。「死ね、糞野郎」と言われて嫌な気持ちになるのは分かりきっている(少なくとも道徳の授業を行う教師にとってはそうでなければいけないはずだ)。それなのに、水の言葉に対する反応を判断の基準にするというのは全くばかげている。それは、水に対する接し方を考える時に初めて考慮すれば良い。

しかしまあ、このような言い方だったらまだ許せる。実際にはこのようには言わない。なるほど今時の小学生には水が感情を持っている、表情を見せる、などというメルヘンは通用しないようだ。

その代わりに、ここでも「科学っぽい説明」が登場する。

「人間の体の相当な割合は水で占められている。水が結晶を作る時の言葉に対する反応から類推するに、人に綺麗な言葉をかけると何らかの良い影響が出るはずだ。」

なるほどこのように説明するのならば、水の感情とか表情といった怪しげな``非科学的な''言葉は必要なくなる。言葉をかけると水の性質が変わりさえすれば良いのだ。そこで出てくるのが万能``科学''用語、すなわち「波動」であり、「プラスのエネルギー」「マイナスのエネルギー」である。

#どうでも良いけれど、今の高校物理では、何よりも初めにエネルギーの保存則が出てくるらしい。確かにそれは現代の物理学を貫く柱だけれど、力学からも熱力学からも入らずに何となくエネルギーと言っているだけでは、日常用語のエネルギーと区別が付くはずがない。それはエネルギーという言葉の濫用に一役買っているのは疑いようがないだろう。

これは物凄い話だ。綺麗な言葉を使うべき理由は相手の体に良い影響を与えるからで、それは水は綺麗な言葉をかけると良くなり汚い言葉をかけると悪くなる性質があってそして人の体の多くを水が占めているからなのだそうだ。逆に汚い言葉を使うと相手の身体に何らかのダメージを与えてしまうから使うべきではないと言っているのだ。対人的コミュニケーションが損得によって説明される。道徳の授業で、だ。これはとても恐ろしい事だ。

#そもそも結晶が綺麗になるという話と身体にとっての水の良さ悪さの話は関係ないだろうとか細かい話を言い出すときりが無いのでここでは除いた(あと、美醜を直ちに良い悪いに関連付けるのもひどすぎだろうとか。)。そのために、上記の「人間の体の~」では「類推する」という表現を使った。しかし実際の授業はもっと非常に無造作に進められたらしい。というか、http://n-blieve.hp.infoseek.co.jp/mizukessyou.htmの「説明10」の中の「すべての人の体の中の水がいつもきれいな結晶を作っていられますように。」という文章。それ、人が死んでます。

#一応、「水からの伝言」で、始めに水質と結晶について関連させ、次いで良い言葉をかけると綺麗な結晶ができたという事から、良い言葉をかけると水質が改善されるのだという仮説が建てられなくもないという事は言っておこう。これの授業ではいきなり良い言葉をかけると綺麗な結晶ができて、汚い言葉をかけると醜い結晶ができました、から入っているようだが。

さて、人間に関する事についてわざわざお水様の反応を見るという行為を無造作に行ってしまう事の恐ろしさが明確に現われているのは、http://www4.ocn.ne.jp/~yoshirin/seimei/mizu/mizu_dengon.htmlにある、「ヘビーメタル」と「G線上のアリア」のお話だ。

#そもそも前者はジャンル、後者曲名だろうという話は置いておく。

ヘビメタを聞かせると結晶はできなかったらしい(醜いのではなくできなかったらしい。だから作るのだけでも難しいんだってば。できるまでやれよ)。一方、G線上のアリアを聞かせると美しい結晶ができたらしい。

問題はこの実験の正当性ではない。ひょっとしたら水はヘビメタよりもG線上のアリアを好むかもしれない。問題はそれが道徳の授業において、人間にとってどんな意味を持つとして語られたかだ。一体、水の音楽に関する嗜好が、(水のための音楽を作る場合はともかくとして)人にとって何の意味を持つのか?

ヘビメタよりもクラシックの名曲を聞きましょう、と頭ごなしに言えば価値観の押し付けになる。ところが、いつのまにか水の結晶が判断基準として居座ってしまった事で、その価値観には(科学的にすら見える)論拠が与えられるのだ。

上記サイトを見る限りではさすがに「クラシックの名曲の方がヘビメタなんかよりも全然良いと水も言っています」とまでは言っていないようだが(騒々しいロック、というアレな言い方はしているが)、全体の流れの中で、価値観の誘導は明らかだ。

#ていうか今の小学校の道徳の時間にヘビメタをこき下ろす理由って何だ?今時の不良小学生ってヘビメタを聞くのか?
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