RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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フカンゼンセーテーリ (2005/11/20(日) 21:46:27)
フカンゼンセーテーリ途中まで。
今仮に第二不完全性定理の逆の結果が得られたとしましょう。つまり自然数論の公理系で自然数論の無矛盾性を示す証明の存在が(今体系をどうとるか、矛盾や証明の範囲をどうとるかはとりあえず無視しています)言えたとしましょう。その事は自然数論の無矛盾性について何を教えてくれるでしょうか?もし自然数論が無矛盾だとしたらこの結果は何ら不思議ではありません(もちろん逆に第二不完全性定理そのものが得られても良いわけですが)。一方、自然数論が矛盾のある体系だったとしましょう。すると(背理法を認めない直感主義に基づく体系の話はとりあえずおいておくとして)どんな命題も証明できるのですから、やはりこの結果は何ら不思議ではありません。このように、第二不完全性定理が成り立とうとその逆が成り立とうと、どの道自然数論の無矛盾性については何も判らないのです。

この簡単な思考実験は、1.ゲーデルの第2不完全性定理は自然数論の無矛盾性に(少なくとも直接的な)興味を向けているわけではない, 2.不完全性定理は自然数論の無矛盾性を仮定した上での主張であるという二つの重要な事を教えてくれます。また、ここで議論した内容は「自己の狂気は証明できない」という、良く耳にする不完全性定理の説明そのもので、それはごく当たり前の事であって不完全性定理が言っているのはそんな事ではないという事にも注意を要します。

そこで具体的に定理の内容を見てみると、まず第一不完全性定理では、自然数論の体系(仮にAとしましょう)の上に自然数論の体系(Bとしましょう)を作ります。そして、B上の命題で、Bによって証明も反証もできない命題の存在を主張するのが第一不完全性定理の内容です。

これから明らかなように、第一不完全性定理の興味が向いているのは、自然数論の証明能力の範囲です。もちろん自然数論でそれが実行できた以上より強い体系を用いる事に意味はありませんが、より弱い体系を用いて証明しようとしても良いわけです。第一不完全性定理を証明するのに自然数論の体系自身を使用する事の必然性があるわけではなく、この限りではそれは一つの選択でしかありません(たぶん、証明として認める範囲を有限の立場にとると自然数の体系で扱うのが自然になるというような説明はあると思いますが)。

ところで、自然数論の体系Aの上にやはり自然数論の体系であるBを作るという事をを行なったためにちょっと面白い事がおきます。もし、B上のBによって証明も反証もできない命題を具体的に構成したならば、それはA上の命題と見なす事もできます(ここに完全性定理についてめちゃくちゃ誤解した内容を書いていたので削除)。そして、実際ゲーデルによる第一不完全性定理の証明は、具体的に命題を構成してそれが証明も反証もできない事を示すという物でした(その方法が対角線論法)。そこで、今せっかくA上でBを作ったので、Bの事を念頭におきながらA上でその命題を眺めてやると、驚くべき事に、それはBは無矛盾であるという主張になっていた、これが第二不完全性定理の内容です。あるいは、先に書いたように、第一不完全性定理において、A上でBの無矛盾性を表す命題は仮定されていましたが、今作ったB上で証明も反証もできない命題は、この命題をB上に翻訳したものになっていると言っても良いでしょう。

ところで、この「自然数論の無矛盾性は自然数論では示せない」は字面上興味を引かれる結果ですが、先に述べたように、少なくとも自然数論の無矛盾性について何かを教えてくれるわけではありません。二つの不完全性定理を最もストイックに眺めた時、第一は「証明も反証もできない命題が存在する」という自然数論の証明能力に関する主張であり、第二はそのような命題の具体例が偶々面白い形になっていたので独立した定理として名前がつけられたにすぎない、と捉えるべきです。もちろん、現在までに証明も反証もできない独立命題という物は様々な公理系に対し、めちゃくちゃ多くのバリエーションが知られているのであって、第二不完全性定理はそのうちの一つを与えるにすぎません(もちろん第二不完全性定理は公理系の強さの同定などたくさんの応用があって、第一の方が偉いというわけではありません。論点を明確にするため最も狭い視点で捉えています)。

このように、不完全性定理は、そのセンセーショナルな見かけとは裏腹に、それは少なくとも自然数論の証明能力を扱っているという意味において、重要でかつ基礎的ではありますが、一般的であるわけではない非常に特殊でマニアックかつ技術的な所に興味がある定理です(ここでも論点を明確にするため最も狭い視点で捉えています。もちろんそうであることがこの定理の価値を減じるわけではありません)。

またそれは、自己言及一般について扱っているわけではないだけでなく、公理系一般について扱っているわけですらありません。つまりそれは自然数論の体系についての定理です。この点でもやはり(ストイックに言えば)特殊でマニアックな定理であるのです。もちろん実際には、自然数論の体系は数学の広範な領域の基礎を成していますから、普通「自然数論の体系を含む程度のどんな公理系も~」という風に書かれますし、実際非常に強力な結果です。しかしまた、ある自然数論の体系に対する不完全性定理の証明は、自然数論の体系を少し弱めるだけでやり直しになってしまう事に注意すべきです。また、同じ体系を扱う場合についても、無矛盾性の定義や認める証明の範囲によって様々なバリエーションが考えられます。

ゲーデルのオリジナルの証明は、そのうち標準的な自然数論の体系と特定の無矛盾性の定義および採用する証明の範囲に基づくものであり、この点においてもそれは特殊なものであると言えます。このようなバリエーションは、ゲーデル自身も含めてオリジナルの結果が発表された直後から精力的に研究されています(と思う)。その中には、証明として認める範囲を広げると自身の無矛盾性が証明できるという(上で注意したようにその事は自身の無矛盾性を教えてくれるわけでは全くないのですが)クライゼルの結果(wikipediaに書いてある事を鵜呑みにしています)があります。


ところで、ここまで第二不完全性定理は自然数論の体系の無矛盾性について何かを教えてくれるわけではないと強調してきました。また、不完全性定理にはいくらでもバリエーションが有り得、個々の結果は一般的なものではないという事も強調しました。しかしながら実は、第二不完全性定理は自然数論の体系の無矛盾性についてもう少し教えてくれる事があります。この事、およびゲーデルのオリジナルの仕事が特定の立場や定義を採用したその理由は、ヒルベルトプログラムを通して初めて見えてくるのです。

ゼミの準備がめちゃくちゃやばいので、また明日。
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コメント
この記事へのコメント
2005/11/21(月) 14:02:24 |くるるの中の人|URL | #nLnvUwLc[ 編集]
興味ぶかく読ませてもらってます。こういう角度から考えたことが無かったので。

いくつかコメント。体系という言葉が曖昧に用いられている気がします。モデルを実際に構成していくことなのか、公理系からの証明をコードすることなのか。「自然数論の体系(仮にAとしましょう)の上に自然数論の体系(Bとしましょう)を作ります。」っていうのはとても微妙な言い方かと思います。

>またそれは、自己言及一般について扱っているわけではないだけでなく、公理系一般について扱っているわけですらありません。つまりそれは自然数論の体系についての定理です。

これはさすがにどうかと。不完全性定理は自然数論を含む全ての公理系に適応できるわけで、いくら公理や記号を付け加えていっても全ての命題が決定できるような公理系は作れない、というのが第一不完全性定理の重要なポイントだと思います。ZFCだろうがZF+ADだろうがむちゃくちゃ強い巨大基数を仮定しようがそこは変わらないわけです(矛盾していない限り)。

いずれにしても、次回を期待しております。ゼミに支障をきたさない程度にお願いいたします。
2005/11/25(金) 01:20:33 |ruke|URL | #-[ 編集]
この文章は元々僕が高校生くらいの時に考えた事が元になっています。その頃、不完全性定理とは自己の正気は証明できないという事が数学的に厳密に証明されてしまった劇的な出来事であり、人の知性の限界を示したのだ云々かんぬんという、その辺の本に書いてある事を鵜呑みにして、良く分からないけどすごいなーと夢見る少年だったわけですが、良く良く考えてみたらそんな事はクレタ人のパラドクスで十分なわけで、不完全性定理がそんな当たり前の事を言っているわけがない、と考えました。それで実際に本を見てみて、それまで耳にしてきた事と実体のギャップに驚いたと同時に得心したのです。

そういう事情なので、あくまで、不完全性定理を「自己の正気は証明できない」という自己言及に必然的に生じる限界を一般的に言っているのだとしか理解していない人向けの文章で、あのコメントに参加していた人たちの大部分には、あまり意味をなさないとは思うのですが、せっかくの機会にまとめてみた次第です。

不完全性定理や、物理の不確定性原理のような余計な神秘性が付与されてしまっている定理、法則は、その重要性が疑いようがない事は念頭に置きながらも、他の数多くの定理、法則と同様に定理、法則でしかない、と言ってしまう段階が必要だと思うんですよね。それにこの感覚は実際に数学基礎論をやっている人達の感覚にも近いと思いますし。

>「自然数論の体系(仮にAとしましょう)の上に自然数論の体系(Bとしましょう)を作ります。」っていうのはとても微妙な言い方かと思います。

これは自分でも書いていてもあやしげだなーと思ったのですが、上で書いたような対象読者を想定しているとお考えください。
といっても自分がちゃんと理解しているかについても結構不安なのですが、自然数論の記号と記号操作を自然数論で扱う、という事ですよね?

>これはさすがにどうかと。
というか自分でもどうかと思って続く所に一応フォローはしてあります。どうしてもこういう論調の文章を書くと、不完全性定理の重要性までspoileしようとしているように見えてしまうと思いますが、その重要性に疑いをさしはさむつもりはありません。とは言ってもkururuさんが言っている、いくら独立命題を加えていっても独立命題が存在し続けるという事、それが不完全というネガティブな言い方に反して数学の豊富なバリエーションを示唆するポシティブな結果と捉えられる事と、後は公理系の強さの同定に使う応用くらいしか知らないのですが。
続き
2006/08/17(木) 06:29:01 |nuc|URL | #wr.8gKW6[ 編集]
実は、これの続きがないみたいだから近いうちにお願いします。
2006/08/20(日) 21:57:58 |ruke|URL | #-[ 編集]
近いうちに、は無理かもしれない。
まあ大した事を書くつもりはなくて、自然数の公理系を使って自然数の公理系の無矛盾姓を証明できたとしても、それは字面から受ける印象に反して少なくとも自然数の公理系の無矛盾姓について何も教えてはくれない``しょぼい''結果であって、ゲーテルの不完全性定理はそれ``すらも''できないという事を示したのだという、この``すらも''が絶対外せないポイントだという事です。そして「それ``すらも''できない」という事が直ちに効いてくる一つの重要なトピックがヒルベルトプログラムだという事です。
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