RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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(2005/12/01(木) 03:43:03)
もう一つ、僕が言っている事が、「より問題にすべき巨悪がある」という意味だととられてしまわないように、とかなり持って回った言い方をしたが、やはりそう受け取られたので(まあこれは文章力のせいだろうが)補足しておく。

nucは立花隆の講義の中に「とんでもない、「ちょっとした」ではすまないような間違いがたくさんある」と認識しているようで、それは僕も全く賛同できるのだ。しかし、僕が立花隆の言っている事のほとんど全てに権威ある出典があると強調したのは、大学の内部ですら、この事に関する一定以上の共通の認識を得る事は難しいだろう、と言う事だ。

もちろん、より良い理解を広めようとする事は常に良い事だ。基本的な事実関係に関する誤謬は、最も些細な「小事」であると同時に、最も重要な「大事」でもある。しかしnucが言っているのはもっと大それた事だ。僕には、自覚せずにサイエンスウォーズ(あえてこの言葉を使おう)に突っ込んでいこうとするドン・キホーテが見える。

つまり、nucは、間違っている事を間違っていると言っているだけで、そもそもそんなに大した事は言っていない、議論の余地のあるような話じゃないじゃないか、という無邪気な姿勢であるようだけれど、全くそうではない。

もちろんここで問題にしているのは自覚していないようだ、と言う事だけで、大それた企て大いに結構、より良い理解を広める事は常に良い事だ。

しかし、立花隆にはしばしばニューエイジ、ニューサイエンスすら入ってくる(また聞きのまた聞き)という事も指摘されているくらいだが、それにも関わらず、水からの伝言の江本と彼が決定的に異なるのは、彼が素養、教養としての接し方ではあってもサイエンスに近くあろうとしていて、サイエンスに常に好意的であろうとしているという事だ。だからこそ、前の記事で、パラダイム論的な見方は、現代社会においてサイエンスの外にいながらもそれを視野に入れ積極的に扱っていこう、接していこうとする上で必然的に取られる不可避のプロセスであった(それは、そのプロセスが容易に行えるように対象を歪め矮小化するという短絡的なプロセスもまた伴っていたが)という事を強調した。

味方、スポンサーだから非難するな、尻尾を振って媚びを売れというのではない。むしろそういう人間だからこそ積極的な相互作用は両者にとって有益であるはずだ。しかし、上で言っているようなサイエンスウォーズが、知識がめちゃくちゃな奴を教壇に立たせるな、という拒絶の姿勢によって行われたならば、サイエンスウォーズは本当にサイエンスウォーズになってしまう。特に数年前の立花隆が受け持ったゼミナールにせよ、今年度から始まるというゼミナールにせよ、立花隆に期待されているのは常に、大学の外部からの広い視野と、社会的に高く評価されている人間の人間性や人生(それがどの程度意味があるのかは僕も知らないけど)なのだから。


僕の意見としては、間違いを指摘するのは多いに結構。しかし、科学と社会の間に位置する科学の伝道者としての役割を一定以上(多分日本ではほとんど最高に)果たしている人間を、間違いだらけだ、と言って大学で講義をする事それ自体を批判するというのは、少なくとも彼が専門的な知識を正しく伝える事が要求される講義を受け持つのでない限り、間違っている

#もっと適任がいるというのならば別だが。しかし科学と社会の間に位置する科学の伝道師としての立場には、社会的に認められた権威、強い影響力が必須である事は忘れてはいけない。実の所、よく顔が売れているサイエンスライターと言ったら、立花隆しかいないだろう。つまりめちゃくちゃ層が薄くて、それは、立花隆も嘆いている事だし、そうして何でも立花隆に押し付けられている現状がある。竹内薫は本だけは多いけど役不足(これも誤用での意味)だし、超専門的な話題を扱っているかと思ったら確信犯(誤用の方の)的にトンデモやってたりするからなあ。やっぱりサイエンスライターで食っていけないというのが、トンデモを量産しているんだな。

そして、立花隆が言っている事が変だ、と言うのは必ず意味がある事で、Blogで指摘するなり講義やゼミに出かけていって指摘するなり議論するなり立花隆の本に書いてある事を鵜呑みにして家族にひけらかしている父親を啓蒙したりすれば良いが、同時に、それらが単なる不勉強に起因するのではなく科学の面白い物語性しか目に入らないという方向性が(普通これに気づかないって事はないだろう。つまり、めちゃくちゃ表面的なレベルの偏向で、しかしだからこそ根が深い)明確である以上、一人一人が、科学が何をして何をしないのか、何を教えてくれて何を教えてくれないのか、について反省的に思考して、ほんの少しでも良いから(そうも言っていられない状況になっている気もするが、自分自身そもそも真面目に勉強すらしていないのであまり強い事も言えん)地に足の着いた勉強なり研究の姿勢を取り戻していく、という事を個々人が少しずつ行っていけば、もっと建設的であろう。

そうした地道な積み重ねだけが状況を好転させる。そして、そうではない、立場と領域を区切ろうとするどんな行為、主張も、科学のパラダイム化を助長する。そうなれば、色んな考えがあるんですね、という現代社会においてほとんど不可避でそれでも科学が避けようとしている「落とし所」に行き着くだけだ。

さらに、研究者達はメディアへの露出を大槻教授のような色物だけに任せず、また、インタビューに来たら喋って欲しい事を喋るというのに留めずに、もっと積極的に、科学が何を教えて何を教えてくれないのかを明確にしながら彼らの研究の重要な(最近の短絡的な成果が社会に直ちに還元される部分だけを重視するというのではなく)部分を社会に伝えるよう努力するべきだろう。実の所、科学の中にいて社会に近くあろう(まあ誰でも社会に属しているのだけど)とする人間の少なさは、科学の外にいて科学に近くあろうとする人間の少なさの比ではない。否、正確には結構いるが、それはどれも、研究のピークを過ぎたお爺さん先生達だ。もう少しましな知の巨人が欲しい、というならばそれだけが唯一の道だ。

これは立花隆が書いている
私は基本的には、コマーシャルベースで採算を合わせることをめざす、民間サイエンス・ジャーナリズムの復興はもはやほとんど無理と思っています。そもそも科学ジャーナリズムの世界でコマーシャルベースで採算を合わせようとすると、内容的にも問題が起きます。どうしても大衆の関心を引きつける話題ばかり扱うようになり、宇宙、脳、ロボット、医療などといったところに話題が集中してしまいます。サイエンスの現場にいる人たちが、これが大切と本当に思っていることがなかなか報道されない、論じられないということになります。

 そうならないためには、サイエンス・コミュニティの人々が、自らメディアを持ち、自ら発信者になっていくべきだと思います。

がまさにぴったりだろう。

#ていうか、大衆のニーズに応えるだけになって本当に重要な事が伝わらない、という問題意識は本人が持っているわけだ。最大限好意的に見れば、科学に近くあろうとしている立花隆の所にさえ既にめちゃくちゃに歪んだ形でしか科学が届いていないという風に言えるだろう。その最大限好意的な見方は正しいかと言えば、個人的に種々の理由からあまり正しくはないと感じるが、以上の議論は全て、一般的で形式的な議論に終始している、つまり、立花隆という個人の詳細には最大限立ち入らずに、批判の内容以前に、批判するべきであるかないかを議論してきた事に念のため注意を喚起しておく。
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コメント
この記事へのコメント
2005/12/01(木) 23:37:48 |でろでろ|URL | #vXeIqmFk[ 編集]
5行ぐらいでまとめてください
2005/12/01(木) 23:46:10 |ruke|URL | #-[ 編集]
まとめても伝わらないでしょう。
2005/12/01(木) 23:47:10 |ruke|URL | #-[ 編集]
ただ言いたい事は、拒絶、排斥の姿勢はいかんだろう、と(一般論ではなくこの特定の場合についてだけど)。
2005/12/02(金) 17:46:43 |でろでろ|URL | #vXeIqmFk[ 編集]
立花隆はなんかかんかいって一番ましだし、他にろくな人間がいるわけでないから排斥しないで利用したほうがいい、ということでよろしいのでしょうか?
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