RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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タチバナ (2005/12/06(火) 04:22:36)
http://d.hatena.ne.jp/nuc/20051129/p1
まとめろと言われたので。いいかげんに論旨は出揃ったと思うので主張だけを述べます。まだ簡潔とは言い難いかもしれないけれど。

まず、立花隆が(特に自然科学分野についての)たくさんの誤った知識を語っていると言って、その事を理由に立花隆が大学で講義を行ったりゼミナールを受け持ったりする事それ自体を非難するのは不適切である事。

誤った科学的知識が語られていたりそれに基づいて何かが行われている時にある程度専門的な知識を持っている人間がそれを指摘すると「自分が詳しい部分を殊更にクローズアップして間違いをあげつらい、それで全ての価値が決まってしまうように扱って他の部分あるいは全体を見ようとしない、狭い視点に基づく揚げ足取り」というように見なされる場合がある。それは単なる拒否反応である場合も多いが、実際その通りである場合もやはり多い。この場合、社会的な評価を汲んで学外から招いている事および数年前に彼が担当したという講義の趣旨や今年度から受け持つというゼミナールの趣旨を見て立花隆に何が要求されているのかを考えれば、彼が披露する知識に見られる誤謬が些細というには程遠い部分があるとしても、まさにそれに該当すると考えるべきであること。

そもそも、立花隆の講義録とやらに見られる多くの事実誤認には、科学的事実や自然科学周辺の歴史的事実に関する誤解が生じる上での典型的な方向性が見られる。それは、人々が科学の方向を向いている間は、実際には彼らが科学なんぞ見ていなくってもとんと無頓着で、しかし彼らが科学の名を口にしながら科学とは異なる方向を見るようになると突然義憤にかられて、それは間違っている、それも間違っている、と言い出す、そういった状況が生み出した自然科学に対する誤った期待と自然科学の中と外の深い断絶が一つの大きな要因だ。科学は、そのパラダイムであることから逃れ得るという現代社会において全く奇跡的な性質にも関わらず自らパラダイムになってしまったという側面が少なからずある。そして立花隆が講義で喋った内容に含まれていた多くの誤謬は、それ自体彼が述べていたパラダイム論的視点と密接な関係(単純な用語の誤解ですらこの関係の範疇に含まれる)がある。

だから、これほど明確な主張を強調していた立花隆の講義を批判するという時に、例え単純に誤りがあるから指摘するという姿勢でさえもいくらか問題であろう。もちろん個々人が批判の行うべき全てのステップを遂行すべきというつもりはないが、少なくとも立花隆が講義を行ったりゼミナールを受け持ったりする事その物を問題視する事は、立花隆に専任の教員の代わりに特定の専門的知識を正しく伝える事が求められているのではない以上、論外である。そのような姿勢こそが、まさに立花隆が披露した多くの事実誤認に見られるような自然科学に対する非常に強い偏向を助長してきたと知るべきだ。

とりあえずやばい誤りが多数見られたから指摘するというなら指摘すれば良いし、立花隆は結構変な事を言うから超有名人が授業をする!とミーハーな姿勢で受講して無批判にお言葉を賜るのではなく、批判的に聞いて興味を持った事項や変だなと思った事項はちゃんと裏を取るようにした方が良いよ、と注意を喚起するならばすれば良い。それは有意義な事だ。しかしそこから先講義を止めさせるよう運動しよう、などという余分な元気があるのならば、そのような百害あって一利なしの方向(というかある一定の空間を越えては受け入れられっこない主張だと思うけど)に進むならば、科学をパラダイムにしてしまっているのは何なのか、社会的に広まっている科学観の著しい偏向の原因は何なのか考えていく方がずっと健全的であろう。その原因の大きな部分はおそらくは僕等自然科学の教育を受けている学生にあるはずなのだから。


やっぱり不安なので、もう少し書くが、いつものようにだらだらと長文を書いてさあ読めというわけにもいかないと思うので、nucが書いている事にコメントをつけさせてもらう。

>あのな。誰がなんと言おうが、この講義が行なわれたのは東京大学で、大学の教壇でここまでひどいことが行なわれているのを知ってしまった以上、活動しなきゃいけないじゃないか。
>だが、ここは「本質的な問題」の存在ゆえに、この小事は見過ごすべきだというならば、それは違うのではないかね。それは矮小化だろう。

これは、しばらく前の記事で書いたように、僕の書き方が回りくどかったかもしれないけれど、上で書いた事が僕の主張なので、とてつもない許し難いことが行われているのだという事を前提として語られても困る。のみならず、個人的な認識で一般的感覚を語るので間違っているかもしれないが、それは一般的に受け入れられる見解ですらない。

>社会的に大反響だった江本氏でもつれてきて喋らせればいい。Rukeの言っている条件は満たしているだろ。
>別に、彼が彼に値する場所でしゃべっている分には文句を言う気はないし、これほどの興味はない。僕がムーの批判記事を書いたことがあったか?

直接的に言っているわけではないけれど、何だか立花隆とトンデモ科学や疑似科学を同一視しかねない論調なので少し注意を喚起しておく。

超簡単に言うと、トンデモ科学というのは、既存の科学を(大概は手っ取り早く、労せずに)超え、否定する事に価値を見出す分野だ。だから、カルトや宗教と結びついた時とか、以下に述べる疑似科学的な振る舞いをした時とか、あとトンデモ本を一般の人が普通の科学読み物として読んでしまった時とかには一定の問題を生じるが、直ちに科学と衝突するものではない。だから、科学の立場からこれを楽しもうとする人々すらもいる。(これは他の読者向けの余談だが、確かにムーは楽しい。僕もずいぶん前から愛読している。ついでに言えば、明らかにきちんと事情を理解していながらわざわざトンデモ記事を書いているライターがかなりいるように感じられ、パラドクス関係なんかはその辺の専門書よりもよほどためになる。)

擬似科学というのは、科学でないのに科学の振りをしているような知識とか概念だ。例えば大手の家電メーカまでもがマイナスイオンなるものの効果を大々的に宣伝すれば、ちゃんとした研究所や研究者による研究結果であるように見える。つまり疑似科学は、科学と、「科学」というラベルを奪い争う関係にある。

科学ジャーナリストとしての肩書きを持ち、一般にもそう認知されている立花隆がこのどちらとも本質的に異なっているのは明らかだ。彼は科学を否定するのでもなければ、科学を置き換えるのでもない。彼は様様なトピックに渡って科学を、あるいはその他の知の営みや情報を伝える。

もちろんその代わりにそこにはある種のフィルタが介在し、情報は劣化し、あるいは歪む。しかし専門的な部分、技術的な部分の枝葉末節に拘泥せずに大衆向けに分かり易く幅広いトピックを精力的に紹介し、専門家による解説記事や各分野毎の入門書、解説書とは全く異なった立場から、非常に広い視野を提供し、知の大衆化に貢献した。別に僕がそれを支持するわけではないけれど、知っていようといまいと、とにかくそれが、社会的な彼の評価だ。

もちろん僕が支持するしない以前に、そもそもこれは最大限好意的に見た場合の話で、実際には、批判力を持たない本人とメディア、知識のつまみ食いを求める大衆という環境が、そのフィルタがどんどんどんどん分厚くなるのに無頓着になりながら、知の巨人という幻想を作り出し、非常にしばしば、彼の言葉を知の体系そのものと捉える事すら起きているというのは確かだ。

しかし、そこから導かれる事は、フィルタを通した二次情報、三次情報に対する批判力を養成すべきだという事ともっとまともな知識を大衆に伝える役割を果たす人々を養成すべきだという事であって、立花隆に喋らせるなという事ではない。特に、一般大衆が科学読み物を読む時の批判力など限界があるに決まっているから、重要なのは環境、社会の成熟であって、それには専門家側の積極的なアクションが必要だという事は、何だか立花隆自身述べている。

はじめに - SCI(サイ)

そういう社会的状況にあって、同時に、大学の閉鎖性(まあこういう問題意識は時代を問わずあるのだろうけれど)を改善し個々の研究分野の専門家では提供できないような広い視野を持った人物、そしてアカデミズムの世界とはまた別に社会的に一定の評価を受けている人物に触れる機会を作ろうといって立花隆を大学に呼んだ、というのが(詳しい趣旨を知っているわけではないけれど)数年前に行われた講義であろう。

また今年度から始まったというゼミナールは、立花隆が「科学技術インタープリター養成」プログラムの特任教授になったのに伴って始まったという事だ。このプログラムは何かと超簡単に言えばもう少しましな立花隆を作ろうという事なんですよ。それには商業ジャーナリズムじゃもう無理だから科学の内側にいる人が積極的にそういう役割を果たすようになるべきだと、そういう明確な問題意識を立花隆自身が言っているのですよ。

こういう風に、立花隆は、学内の教員を置き換える物ではなく、異なった何かを期待して呼ばれている。その代わりに個々の知識が不正確であるのは当然の事で、初めから聞く側に批判力が求められている。それを、勝手に無造作に彼の責任を増やして、次いで批判するというのはとんでもない事だ。

特に疑似科学に関連して活動している中心にいる人たちは、それが、「科学に明るくない人が言っている事の間違っている部分をあげつらって叩いている」という風に捉えられないよう細心の注意を払っている。立花隆が変な事を言っているということから彼をトンデモ科学や疑似科学と同列に扱うような姿勢をとるという事は、そういった注意を無に帰すということだ。何らかの正義感に基づいて立花隆批判を始めたようだけど、それならばこういう所も意識してほしいと思う。

>Rukeは、ここの学生は能力があると思っているのかもしれないけれども、俺は、馬鹿で庇護の対象にすべきだと思っているのか?

日本語が変なので勝手に「馬鹿で庇護の対象にすべきだと思っている。」と推測する(つまり「馬鹿で庇護の対象にすべきだと思っているとでも思っているのか?」かもしれないけれど)。これはnucの所のコメントにも書いたけれど、人に対する要求とか、人の責任というものは、基本的な部分では、人の能力によって決められるものではないでしょう?

批判力が求められている、っていうのは、学生に批判力があるなんて事では全くない。単に彼等の状況と立場から彼等には批判力が要求されるということだ。それを持っていなくて困るのは彼等自身だ。

だから、始めの方の記事で
>マスコミや科学読み物を読む一般的な人々ならばともかくとして、仮にも東京大学に通っていて立花隆から量子力学を学ぼうとするような愚か者(実際には非常に多くいたのだろうが)に対し立花隆が何ら責任を負わない事は疑いようがない。

と書いてある(めちゃくちゃな文章力で長々と書いているのでちゃんと読めとは言わないけれど)。

もちろん、実際の学生の現状を見て、実際上の成果を上げるにはどうすべきかという議論は常にあり得るだろう。しかしそういう文脈でバカな学生に変な考えを吹き込まれては困るから知識が怪しげな立花隆は大学で喋るなというのならば、それは「うちの学生はバカで間違った事を聞いても無批判に信じ込んでしまうから、枯れたカリキュラムで無難に無難に授業を続けて、純粋培養していきましょう」とそういう話になる。こういう主張はありにしても、そもそもnucは自分の主張を大した事を言っているわけでもない代わりにほとんど疑問の余地もないようなどっからどう考えてもそう考えるべき主張という風に見なしているようだが、そういう風に見なすには特殊に過ぎる主張だろう。大体、学生がバカで立花隆の喋る事を批判的に聞けないから変な事を喋るやつに講義させるなというのならば、講義をするなという主張にはなっても、立花隆を非難する

>一度やったら東大の教壇からは追放すべきだと思うのです。これは強度偽装どころか真実偽装ですよ。

こういう言い方にはならないはずだ。その不整合を抜きにしても、少なくとも高等教育の場で、偶々誤った知識に触れなかったから身についただけという``正しい''知識になんの意味があるのか。何が正しいのかを判断するのも人なのですよ。

ついでに言っておくと、そもそも、特定の人間を非難しようとしている時についでに他の多数の人間を文字通り「バカにして」自分の主張を補強しようとするのは反論のための反論の性格が非常に強いと感じる。
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