RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
201710 << 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >> 201712
スポンサーサイト (--/--/--(--) --:--:--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
僕ら物理学を学んでいる学生は、よく、Theory of Everything(森羅万象の法則というナイスな訳語がある)を求めるな、と戒められる。これは大体次のような意味だ。

物理学を本格的に学ぶ以前に物理学について得られる情報の多くは、この分野の華々しく受けが良い部分に恣意的に偏っている。特にニュートン力学、相対性理論、量子力学といった「基本法則」の発見を、ひらめきや思いつきに比重を置いて分かりやすくする事でそうした法則が発見される過程を矮小化して恣意的に神秘性を演出している事が多い。

こうした情報にさらされて、物理学に憧れて物理学を志した人間は、どうしても、相対性理論や量子力学のような物理学の根底を成す新しい理論を見つけてやる!という漠然とした野心を持つようになるし、そうではなくとも、物理学が対象とする領域について非常に狭い認識を持つことになる。物理学の基本的な問題意識は、世界の仕組みを理解しようという事なのだけど、本当にそのような興味からこの方向に進む事は難しく、どうしても、有名な科学者とか理論自体に対する憧れが動機になってしまい、物理学者は誰もがToEを求めて研究しているのだと漠然とイメージしてしまうのだ。

だけれど、実際の物理学はもっと広範な現象を扱う。基本法則を整備する事は結局は準備にすぎず、その先の、それらを応用して様様な現象にどのような理解を与えるか、という事こそが物理学の本来の問題意識から言って重要で、そしてはるかに難しい。そのような場合に、基本法則は大して役に立たず拠り所以上の役割を果たさないという事がほとんどで、対象とする領域の持つ構造を理解し記述するためには様様な手法を適切に選ばなければならない。現象の適切な分類、特徴づけ、実験手法や解析手法の整備、法則の発見と検証、理論的裏付け、、、こういった事は基本法則周辺のとるに足らない数理的な問題に比べてはるかに難しく、しかしながら物理学にとって多大な興味が向けられる。

そういうわけで、新しい基本法則を見つける事は物理学にとっては非常に広範な目的のほんの一部にすぎないのだと諭されるわけだ。

ところが今の物理学の状況を考えると、僕にはToEの樹立が確かに物理学の当面の重要な目標であると思えるのだ。

その理由は、全く逆説できなのだけど、ToEがどうやら存在しそうにない事だ。
物理学は、扱うスケールを小さくするのに伴って何度かブレークスルーを経験した。始めはもちろん量子力学だ。その後場の量子論に基づく素粒子の理論が展開される。ここではよりミクロな素粒子による内部構造を想定する事で何種類もの素粒子それぞれの性質を統一的に説明できるようになるという形でのブレークスルーが何度かあった。そして今では、素粒子という描像とは異なる(例えば弦のような)内部構造が存在するのではないか、と少なからない研究者が考えている。

このようにスケールを一つ小さくする度に、研究者達は多大な労力と様様な新奇な発想によってその構造を明らかにしてきた。しかしここまで来てそのような手法には疑問がわいてくる。

それはまず物理学の実用上の問題として、スケールを一つ小さくする度にこれほど苦労するのでは困る、という事だ。

そしてもう一つ重要な事は、この還元主義的な、よりミクロなスケールにおける物理法則を明らかにしようとする試みに終りが来る日があろうとは、もはや考えられないという事だ。弦理論などの一連の、次のブレークスルーの可能性として研究されている理論の背景には、現在の理論では量子力学と一般相対性理論が両立しないという問題意識がある。つまり現在の物理学は、実験結果を待たずして基本法則が修正を必ず受ける事が分かっているという歴史的に見ても非常に珍しい状況にある。従ってこれらの理論が成功すれば、少なくとも形式上は全く矛盾点を含まない完結した理論が誕生するだろう。しかし、物理学の基本法則は歴史上何度も形式的に閉じ、紙とペンによる議論の段階では問題点を含まない完全な物となり、それにも関わらず正しく説明できない現象が見つかり修正されてきた。このような経験から、実験や測定技術の進歩によって量子力学と相対性理論を包括する完全な理論と実際の現象との食い違いが発見され、よりミクロな構造の存在に我々が気づくであろう事を、ほとんど誰もが直感的に確信している。

それだけではない。銀河の分布に関して、より遠方についての詳細な観測データが集まるにつれ、より大きなスケールでの特徴的な構造が見つかるという事が何度かくリ返されている。また勿論、我々の日常生活のスケールでも特徴的な構造をもっていると期待できるような現象がたくさんある。基本法則周辺のごたごたがそれなりに片付いてきて、ようやくこうした物理学が本来興味の対象とする様様な現象が議論の俎上に上ってきたのだが、それらを実際に扱おうとした場合の統一的な方針と呼べるような物はほとんど存在せず、様様な困難が山積みである。

さらに面白い事に、小さなスケールでの法則によって世の中が動くその結果として成り立つような大きなスケールでの法則が、小さなスケールでの法則の詳細にあまり拠らないという事態に物理学は頻繁に直面している。つまり、小さなスケールでの法則を好き勝手に変更したとしても、大きなスケールでの法則はほとんどそのまま成り立つという事だ。

こうした状況では、ある究極の法則によってこの世界は駆動されその結果として世界の豊かな構造が生まれるというよりも、どんなスケールにもそのスケールにおける法則と、その法則に起因する特徴的な構造が存在し、単に互いに矛盾しないという点でのみ関連しているのではないかという疑念が生じる。

しばらく前までは、ToEを見つけようとする野心を否定する場合にも、それはToEがどこかに存在していると想定した上での事だった。その上で、究極の基本法則から何でもかんでも説明しようとする事は実際にはほとんど不可能だし、それ以上に実は得る物があまりないといった事や、ToEを見つける事意外にも興味深い目標はたくさんあり、ToEだけを求めていると人生を棒に振りかねないといった事からToEを見つける事だけが物理学の目標だと思ってはいけないと諭すわけだ。

しかしここに来て、そもそもそのようなToEなど存在しないかのような空気がひしひしと感じられるようになってきている(ように僕には感じられる)。ところが、もしそうであるならば、このように還元主義的によりミクロなスケールでの物理法則を明らかにしていくという方針は、単に実際上のあまり意味がないというのみならず、もっと本質的な意味で、世界を理解する方針として適切ではないという事ができる。

ところがこうなると、任意のスケールにおける法則の由来を統一的に説明するという事が、物理として十分に正当な目的意識となる。すなわち任意のスケールにおける法則を直接与えてくれる、スケールフリーな法則ジェネレータが存在していると期待でき、それを見つけ出す事は物理学にとって確かに一つの重要な課題となる。そしてこのスケールフリーな法則ジェネレータは、確かに真のToEとしての資格を持つ!この真のToEは還元主義の行き着くところとしてのToEに比べて桁違いの意味と有用性を持ち、それでいてその存在はよりもっともらしいのだ。

真のToEは、法則の由来を説明するという性質上、非常に重要な期待を持つことができる。それは、世界の特徴づけと意識の特徴づけを与えてくれるかもしれないという事だ。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
(C)Copyright 2003-2007 by Ruke All rights reserved. Powered By FC2. VALID HTML? VALID CSS?
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。