RukeとLuNaYuの日記
I know the truth.
I know whole.
And I...know you.
平凡な大学生活の日記です。時折まじめな長文を書く病気になります。興味がなければ読み飛ばしてください。
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どれほど実験と理論があらゆる場面で一致するようになっても、常に、どうして世界がそのような理論に従っているのか、という疑問から逃れる事はできない。

物理学者にとっての最大の不安は、明日から突然、世界が全く異なる物理法則に従い始め、これまでの努力が灰塵に帰すかもしれないという事だ。物理学は世界がどのように作られているかを教えてはくれるけれど、世界が何故そのように作られているかを教えてはくれない。

ところが実際には、そういう事はおきていない。それはもちろん、これまで偶々世界はこの物理法則にしたがって動いてきただけという事で、次の瞬間には異なる物理法則に従いだすかもしれない。だけれど、世界がある(完全に明らかにはなっていないにせよ)物理法則に従っていて、これからも従い続けるだろう事を僕らは半ば盲目的に確信する事をこれまでの所許されている。

ひょっとしたらこの確信は幻想なのかもしれない。しかし、世界がかくある理由がちゃんと存在し、このような確信が正当化されるのならば、それを明らかにし、明日から世界が異なる物理法則に従い出すかもしれないという恐怖を払拭したい。これは世界を理解しようとする物理学にとって十分に正当な問題意識だ。
すなわち根本的な問題は世界に対する現在の理解の程度では、異なる物理法則に従う世界を容易に想定できてしまうという事だ。

ニュートン力学以来、基本法則は常に世界全体のみならず部分系に対して同じ形の法則が適用できるように作られてきた。それはもちろん、実用上そうでなければ使い物にならないためと、世界全体に対する部分系と部分系の合成系はまた世界全体に対する部分系となるためだ。

しかしこのために、この種の基本法則はある種の自由度を持ち、「世界の作り方」という側面を持つ。古典力学では任意の状態空間とハミルトニアン、量子力学では任意のヒルベルト空間とハミルトニアンを持つ世界を想定する事ができ、僕らの世界が特定のヒルベルト空間とハミルトニアンに基づいているのは、単に偶々僕らがそのような世界に属しているだけだとしか言う事ができない。

特に、状態空間Sとその元sの時間発展規則ds/dt=f(s)で記述されるような系は、どれほど工夫をこらして状態空間Sを用意しても、そのうちたかだか全実数個しか使われない。宇宙開闢以来実現した状態は数直線上の区間[0,1]に連続性を保ったまま写像する事ができ、状態空間のそれ以外の部分は世界に対して何ら関わりを持たない。

相対性理論のようにこの範疇に入らない理論もある。しかし結局、非常に大きなあらゆる基本法則の集合という物を考えた時にその一つの元であるという事に変わりはない。つまり基本法則空間のような物を考えたときに、世界とはその中の一点であるという事になる。こうなれば世界と世界の間の非常に多くの一対一写像を考える事ができる。

#こうした思考は、先の、あらゆるスケールに法則と構造が存在しているという考えを、漠然と支持する物の一つである。
#また、統計物理におけるミクロカノニカル分布とカノニカル分布の関係にも見られるように、全体系は必ずしも部分系と同じ法則には従わない。その上統計物理では、どんな教科書にもミクロカノニカル分布からカノニカル分布を導く方法は書いてあるにも関わらず、カノニカル分布を基礎において議論を進める事が可能だ。そしてカノニカル分布は多くの場合に、ミクロカノニカル分布に比べて本質的ですらある。全体系が部分系と同じ理論に従うというのは、僕らは部分系しか目にする事ができないという技術上の制約による部分が強く、おそらく究極の理論は世界全体に対する理論として記述されるだろう。

こうした議論から、存在に関して云々する事は世界を理解する上で大して助けにならないと考えられる。もしある世界を想定できるならば、その世界はもはや十分に存在しているのだ。

すると、僕らが偶々ある物理法則に従う世界に属しているのではなく、世界が特定の物理法則に従う理由が確かにあるのだとすれば、僕らの世界を特徴づけるある重要な性質があって、その物理法則に従わなければその性質を満たす事ができないという事であるに違いない。

所が、今のところ僕らが理解している程度の世界にはそのような特徴づけを見出す事はできない。例えば、本当は夢が現実で、現実が夢なのではないかとは老子にまで遡る世界に対する疑惑だ。

しかしそれでも、僕らは現実と夢を区別できる。この世界は、奇妙な程に現実味があり、異常な程に出来が良いのだ。どんな優れた物理学者でも、自分の夢の中で夢の世界が従う物理法則を探し、それがローレンツ不変である事を見出した経験を持つ者はいないだろう。

最近では、コンピュータがある程度の擬似世界を提供できるようになって、この世界もまた超テクノロジコンピュータによるバーチャル空間なのではないかという疑念が生じ、それに基づくSFもたくさん生まれている。代表的な物はMATRIXだ。

しかしそれでも、この世界の奇妙な程の現実味と異常な程の出来の良さが、そうした疑念を単なるSFのスパイスに留めている。

もちろん僕らの世界が巨大な超テクノロジコンピュータによるバーチャル空間であるとか超知性体の夢であるとかいう可能性は、いつだって排除できないがそれ故、そのようなコンピュータや超知性体に僕らが関わりを持つ事ができない限り大して意味はない。そしてそうだとしても、僕らの世界が少なくとも僕ら程度の夢やコンピュータによる世界と著しく異なる特徴をもっているらしい事、僕らの夢やコンピュータがどんなに発達しても(夢の発達というのは良くわからないが)その違いは消えそうにない事は感覚的に言って説得力がある。

それならば、僕らの世界の持つ現実味と出来の良さの根底にある最も本質的な特徴付けを明らかにする事は物理学にとって最重要課題であるはずだ。非平衡統計物理と呼ばれる確立した理論が未だにない分野では、まだ完了していない重要な仕事の一つとして対象とする非平衡状態の特徴づけが挙げられるという。つまりこの分野は、扱っている対象の正体する分かっていないほどに困難で先の見通しの立たない分野であるという事なのだが、そうして見ると僕らがもう長い間物理学を展開してきて、基本法則については大体満足の行く結果を得ているにも関わらず、未だにこの世界が他の世界とどのように違っていて特別なのか、この世界の本質的な特徴とは一体何なのか、何も知らないというのは驚くべき事だ。

そしてこの世界に対する特徴付けを考える時、僕ら自身の存在を避けて通る事はできない。というのも、少なくとも僕にとって、僕が存在しないようなどんな世界の存在も、何の関係もないからだ。重要なのは、今この瞬間を共有していて、次の瞬間から僕という意識を保ちながら異なる物理法則に従いだすような世界があり得るかどうかだ。

もしそのような世界があり得るのならば、今までこの世界がある物理法則に一貫して従ってきたのはたまたま僕がそのような世界に属していただけで、次の瞬間から世界が異なる物理法則に従いだすかもしれないという不安におびえなければならなくなる。

そして、それにも関わらずこれからも世界は同じ物理法則に従い続けるだろうという確信をもし正当化する事が可能であるならば、それは結局、僕という意識を存在させる事はある非常に限定された世界にしか可能ではないという形での正当化しかあり得ない。

すなわち、この世界が次の瞬間から異なる物理法則に従いだすと、意識が異変を感知できない程度の短時間で意識という構造の重要な部分が破壊され、僕はかき消えてしまう。そうならない世界とは、特定の物理法則に従うこの世界しかあり得ないというわけだ。

ところが先の夢やバーチャル空間の話と同じように、我々が理解している程度の意識のありように関する限り、このような事は考えられない。僕らの現在の意識に対する理解の下では、コンピュータ上の仮想人格や小説の登場人物を十分に発展させれば意識に到達できると考えられる。膨大なページ数を費やして登場人物を構成する原子一つ一つの様子、あるいは波動関数の時間変化を記述した不条理小説という物は十分に想定できる。

という事は逆にいえば、AIや小説の記述をどれほど発展させても、意識の本質的な部分を実現する事は出来ず、意識には何か我々のまだ知らない非常に重要な特徴があるのだと考えられる。そしてそれこそが世界を特徴づけ、世界の物理法則を決定するのだ。

特に、意識が真に局所的な物だとしたら、アンドロメダ銀河が僕の周囲と同じ物理法則に従う必要はない。例えば、宇宙からある日突然太陽系以外の全ての天体が消失してしまうというSFを書く事ができる。そして意識が真に局所的な物ならば僕の意識どころか地球全体の営みを正常に保ちながら実際に太陽系以外の全ての天体が消失する世界を想定する事ができてしまう。

すなわち、意識のまだ僕らの知らない部分は、確実に、世界のあらゆる部分(空間的、時間的、あるいはそのように分類できないようなとにかくあらゆる部分)と関わりを持つはずだ。アンドロメダ銀河が僕の周りと同じ物理法則に従うのは、僕を存在させるためだ。

このような目的原理的な言い方は誤解を生み易く、より正確には、異なる物理法則に従うアンドロメダ銀河と僕とが共存しているような世界は存在し得ないという事だ。しかしながらこの目的原理的な見方は、本筋から外れるが、非常に夢がある。意識が世界のあらゆる部分と関わっているならば、超能力とかフォースのような物が実現するかもしれない。もちろん意識と世界との関わりが制御可能かどうかは分からないし、可能だとしても非常に難しいだろう。しかし、意思に従って体を動かすという感覚(このような感覚こそが超能力を夢想させる事は疑いないだろう)が、単なる決定論的な現象に過ぎないのではなく、真に意識の特徴づけに関わって来るのだとしたらそうした事もあり得るかもしれない、と期待する事はなかなか楽しい。

なお、このような考え方は人間原理と呼ばれる考え方そのものだ。この考え方は良く誤解を受け、世界が人を存在させる為だけに存在しているなど本末転倒も甚だしいなどと激しく批判される事も多い。しかしこの考え方の根底にあるのは、世界を特徴付けようとすると、それは究極的には考察者自身の意識を以ってするしかないという逃れようのない結論である。この事事態はここまで延べたように十分な根拠あり、それ故世界について出来る限り深い理解を得ようとしている多くの高名な研究者が人間原理の提唱に至るのである。従って、人間原理を、我々の素朴な理解の範疇に収まる程度の「人間」が世界を規定するという主張であると早とちりしてしまってはいけない。人間原理は、僕ら自身に対する未だ理解されていない特徴付けが存在し、それは世界の特徴づけその物であるはずだ、という問題提起なのだ。繰り返すが、世界を特徴付けようとすると、それは究極的には考察者自身の意識を以ってするしかない事だけは疑いない(この瞬間の考察者の意識を共有していて、しかも以降異なる物理法則に従うような世界が存在し、考察者はたまたまこの世界に属しているだけであるという可能性を除いて)。

実は量子力学はここまで考えてきたような法則の起源が持つ特徴をいくつかの点で想起させる。初期に見られた測定に関する問題が意識の特別性を教えてくれるかのように見えた事、部分系と全体系との関わりが強く孤立系の時間発展規則が余り重要ではない事、合成系のもつれが古典的世界に対する平行世界と見なせる事、非局所的な異常な相関、どうやら対称性によってハミルトニアンが完全に決定されそうな事。これらは半分は夢に過ぎず、残りの半分についてはまだ完全な理解からほど遠いようであるが、いずれにしても量子力学は、量子力学に従わない世界でこの世界と古典的なレベルでは一致する(あるいはある時点で一致していてその後全然違う経過をたどる)ような世界を幾らでも想定できるという点で、法則の起源を説明するというよりは、未だ法則にすぎない。しかしながらペンローズが試みたように量子力学が意識と深く関わっている事は確かだろう。その関わりが明らかになれば、量子力学なくしてこの世界に存在しているような意識は実現できないという理解に到達する事ができるだろう。このような量子力学の、後一歩で法則の起源の説明として機能しそうな思わせぶりな態度は、確かにそのような理論が存在していそうだと僕らを勇気付ける。

さて、このような、意識の本質を明らかにする事で世界に対する特徴付けを行いそこから物理法則の起源を説明するという手法は、スケールフリーな法則ジェネレータという形のToEと密接な関わりを持つ。というのも、この法則ジェネレータが単に法則の上位法則に過ぎなければ、それは少々方向性を変えた還元論に過ぎず、この法則ジェネレータの起源についての疑問が再び生じるからである。もちろんこの二者が完全に同一というわけではない。物理法則の起源を説明するならば、単一の究極の基本法則を説明するという形でも良く、必ずしもスケールフリーである必要はない。しかしそれでもこうして考えてくると、あらゆる事が上手くいった場合のToEのあるべき姿が浮かび上がってくる。すなわち、

1.意識の(より正確には``僕の'')本質を明らかにし、それを以って世界の特徴づけを行う
2.そうして得られた世界の特徴は、ある特定の世界でしか実現できない事を示す。
3.その世界における様様な物理法則が如何にして芽生えるかを統一的に説明する。相対性理論、量子力学、素粒子の理論、プランク長さ/時間/エネルギー領域における重力の理論、平衡系の熱力学・統計力学、非平衡の統計力学やメゾスコピック系などの何らかの構造があると期待されながらまだ良く分かっていない分野、、、とあらゆる領域における法則を統一的に、そしてダイレクトに見出す手法を提供する。

どう考えても、これを実行する事は非常に困難だろうが、その存在だけは確かに確信できる。この世界の奇妙なほどの現実味と、異常なほどの出来の良さがその確信を支持するのだ。そしてこのToEは確かに、自然科学の究極の目標とすべき物の少なくとも一つに数えられるだろう。
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